「師匠の教え」:自然に還る
気づいていなかったことに気づく。それが多くなっていくと、自然に還ってきている。思ってから感じるのではなく、感じて気づいていく。気づくからまた感じていく。そして本来のものが見えてくる。自然界のことも。
観賞の「観」と書いて「観える」。なぜなら、目で見ることではなくて、感じて観えてくるものだから。「観覚」と書く。目で見えるのではなく感じるから。鳥の鳴き声が大きく聞こえるはずがない。でも、鳥の鳴く波動が大きく感じるときは、自分の波動と鳥の波動が繋がって、鳥の鳴き声が大きく感じるように聞こえる。
計り知れないくらい気づきってある。気のせいかなと思っても気のせいではない。研ぎ澄ますから、霊の歩く音まで聞こえる。滝の前で瞑想中、滝の音はうるさいから聞こえるはずがないのに、音が分離して聞こえる。滝の音。草木が眠る音。と研ぎ澄まされてゆく。自然に溶け込んでいったということだろう。研ぎ澄まされて。自分でも本当に不思議。滝の音が分かれて聞こえる。サーッと川に戻る音。ドッドーンと岩にぶつかる音。シャワシャワと泡になる音。2年後くらいから聞こえるようになった。川の真ん中の岩の上で瞑想しているとき、水が岩にぶつかって分かれる音が聞こえる。チョロチョロ隙間を流れる音。段差を流れる音。鮮明に聞こえてくる。
そういうことを思うと、滝は何十万年もこうして動いているのだなと思う。地球の神秘だ。修行に入る前は、そんなことも思ったことはなかった。
山歩きをしていれば、日本という島が隆起して押し出されて出てきたことに気づく。水の清さに気づく。ペットボトルの水よりも綺麗な美味しい水が飲み放題だ。なんてありがたいのだろう。その都度、自然界ってありがたいなあと思うようになった。自然界の偉大さを知って、ありがたさを知る。家にいたら到底気づく機会に恵まれなかっただろう。
山に登って、何を思うか。「絶景ですね」という登山家はよくいるが、気づきがあり、「ありがたいですね」という言葉が先に来る登山家はまだ見たことがない。
山に登ると空気が美味しい。二酸化炭素を葉っぱが吸ってくれ、滝がマイナスイオンを作り、良い気が流れる。より一層空気が綺麗になっていく。「ありがたいな」と山を登るたびに思った。自然の空気清浄機、マイナスイオン機だ。全くありがたいものだ。
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