見出し画像

自己紹介(世界一のニート)

職業:世界一のニート(兼休職者)
年齢:29歳
何人:母台湾人、父日本人
学歴:NY州立FIT (Fashion Institute of Technology) 卒
言語:日本語、英語、中国語
職歴:大手IT企業→大手ラグジュアリーブランド→世界一のニート
持家:26か27歳の時に初ミニマイハーム購入
格言:自分を幸せにすることしかやらない。(嫌なことは🙉🙈🙊)

世界一ニートの定義は?

名乗ったもん勝ちだという認識です。

世界一ニートさんはなぜnote始めたの?

昨日、本読んでたら「元日本一ニート」phaさんを知り、そしたら私世界一目指す!!って思って始めた。

世界一ニートさんは何で英語話せるの?

赤ちゃんの時から映画無数に観ていたら耳が慣れた。小学生の頃には英語のリスニングが得意な方になり、いつの間にか結構何言ってるかわかる状態になる。そこからの上達は普通に勉強。※私の家族誰一人英語喋れる人いないので、ここは私の努力の結晶だと言いたい。そして、そんな自分を思う存分褒めてあげようと思う。

世界一ニートさんはnoteで何書くの?

ニート(兼休職者)歴9ヵ月になるので、今まで経験したことと、これから経験することを書いていく。

世界一ニートになるまでの経緯が知りたい!

小さい頃から何かと戦略しかない人間で、とりあえず「すごい人」になるために行動をしてきた。社会に認められたい欲求からくる成功への執着が大きく、その過程で疲れて潰れる。あれ?そもそも「すごい」ってなに。という新境地に至る。「すごく」ても自分がアンハッピーで死への意欲を感じるほどだと意味ないという結論に至る。自分自身が幸せになる道を選ぶことを誓う。そして、世界一のニートへ。

小学生時代
とりあえず美しいものが好き。映画とファッションが好き。映画とファッションの職業を調べる。映画は監督、照明など技術的なものしか私の理解範囲では認識できず、技術的でないものは映画評論家など。どれも何かとピンとこず、ちょっと大変そう、めんどくさそう、難しそう、という印象で映画をギブアップ。
ファッションはデザイナーは無理だなーと思いつつも、雑誌とか沢山職業あって楽しそうーこっちの方が楽そうこっちにするー!私はファッションの道へ進むのだ。と決断。

中学生時代
(ここまで日本生まれ、台湾育ち)諸々の事情で日本に行け!と母親に告げられ、ビビる。日本到着後、特に何も考えてない。精神激荒れした。

高校生時代
(この時点で英語はネイティブレベルに)さて大学どうしようか。日本の大学に何故か何一つ魅力を感じない。母の友達がファッションで世界的に有名な大学を教えてくれる。だがしかし、学費が激高。その中で唯一入れそうで州立な比較的良心的価格なFITに入ると決める。だがしかし、常に赤点ギリギリ、勉強嫌い、英語しかできなかった私にはすごく無謀。でも入りたいからすごく頑張ったら、入れた。ここで私やれば結構何でもできるんだなと自信がつく。

大学時代
学び学び学び、体験体験体験、多様性多様性多様性、世界世界世界。もう目が常に見開いてた感じ。今思い返せば結構過酷で孤独な戦いをしてたと思う。18歳で知り合いゼロの状態で、NYに1人でいたことはかなり過酷だと思う色んな意味で。でも、すごく世界は広く、考え方は無限にあり、貧しい人もいれば金持ちな人もいて、両極端の人々と触れ合うことができた。すごく自由で、1人で過ごす人も多く、群れないことは恥ずかしくないし、したいことをすればいいんだという価値観を持っている人がすごく多かった。compassion(思いやり)とempathy(共感)に人生で最も触れた時代だと思う。人間としての当たり前の思いやりを幾度も目の当たりにし、すごく感動した。人間性が体験できた時代。あと兎に角インターンしまくってた。そこまでしなくてよかったと思う。

社会人時代
ファッション業界でインターンしているうちに、もう少し頭が冴えていて近代的なところに行ってみたいと思う。大手IT企業に新卒入社。人生初のサラリーマンを体験し、壮大なる違和感と一種の恐怖を覚える。多忙で一度潰れる。その後、業務量が減り生き返る。けどやる気出ないしハッピーじゃないので、好きなファッションに戻る。大手ラグジュアリーブランドに転職。最高、ハッピー、美しい、国際的!と花畑だったが、仕事がすごくできたが上に任せられるものも増え業務量が激増し、再び潰れる。昔の私だったら憧れていた海外転勤+昇進を提案されるも、休職を選ぶ。絶対に自分が嫌なことはしないし、自分を必ず幸せにすると誓い、今に至る。

次回の世界一のニートは

社会人時代に潰れた話と、休むことの大切さについて語る!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?