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「生物物理学」のこと

「生物物理学」という単語はごく一般的に使用されており、学会も活発になっている。

たとえば、私は研究活動をさせていただく中で、生物物理学会の若手組織の支部員となった。主に生物学をバックグラウンドとするこのコミュニティの中では、多数派は生体外のタンパク質をはじめとした静的な物性の研究における散乱法等、 解析技術に関心があるようである。一方で、メインの研究活動は物理学をバックグラウンドとするコミュニティのなかで行っていた。こちらのコミュニティでは、「生物物理」は生物学コミュニティとはやや異なる意味合いが強く、この分野の世界的権威である蔵本由紀先生が「生きた自然に格別の関心を払う数理的な科学」[1] と宣言したように、生きているものそのものの数理的性質に着目している例も多いことに気づいた。その傾向は物理学をバックグラウンドとする著者による近刊書「生物物理学」[2] からも色濃く読み取れる。
むしろ前者の意味での生物物理学者こそ、クラシックな意味での物性物理を、生体物質に関して行っている人々のように思えた。

このように、両者は同じ単語でくくられつつも、アプローチの根本から異なるものであり、特に前者のバックグラウ ンドの持ち主が後者の世界に足を踏み入れたときには、例えばその近似の粗さに、興味のマクロさに、怪訝な顔をすることも少なくない。とはいえ、前者の「生物物理学」は「物理天文学」というくらいのもどかしさがあり、「物理生物学」と改めるほうが自然ではないかという主張もこの際だからしてしまおう;「数理生物学」「分子生物学」の命名規則に従えば、一般に「X 学」からの派生 A が「AX 学」となるのだから。生物物理学会出版の OA 誌「Biophysics and Physicobiology」も、遠からぬ問題意識によって命名されたそうだ。

この近似精度の話と似通った問題が、理論家と実験家の間の断絶としても認識されているようで、同様な懸念から開催されたであろうセミナーの形跡がある [3]。しかし、この差は結局「生物をわかる」とはどういうことなのか、むしろわかりたいのは生物なのか生体分子なのか、というあたりの共通認識が、理論家だろうと実験家だろうとできていないということに由来しているのではないかとも思えるし、物質科学に寄せるほうが研究費が得られやすいのか、そもそもの生命の理解という動機から後戻りできないほど離れて行ってしまっていることもあるのではないかと思うと暗い気持ちになる。

[1] 蔵本由紀, 非線形科学, Vol. 408G (集英社, 2007).
[2] 鳥谷部祥一., 生物物理学 (物理学アドバンストシリーズ) (日本評論社, 2022).
[3] 郡宏. and 伊藤浩史., 理論家が考えていること, (2010).





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