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孤独の正体

連載が毎週始まってこのnoteとの棲み分けも特になく放置していたが、連載よりもローカルな雰囲気で、自由気ままに書きたいことがある。ので。

自分の小さい頃の話、生い立ちの話、特に聞かれなければすることも無い。でも、したいと思う機会はあるわけで。自己開示からコミュニケーションは始まるものだから。最近の話をしよう。

過去話においては、話す相手を選ぶが、腑に落ちてくれる事が増えて有難い。昔はよく、敬遠されたり重く捉えられたりという事があって上手く人間関係が形成できなかった。表現者であってよかったとも思う。世間話程度で、いいんです。

だからか、昔はよく孤独を感じていた。どこに行っても居場所がない。あれが敵だあれが味方だ。そんな話はわたしにとってはどうでもよかった。わたしが好きならそれで良くて。板挟みという被害者めいた表現はしっくり来ないけれど、そんな感じ。わたしは寂しがり屋だ、生きてはゆけるが、虚無感はあった。

贅沢病なのかもしれない。自分ひとりのためだけに生きることは寂しい。音楽も自分の目標だったり、聴き手に向けての表現だがあまりにも不特定多数だ。そこにいる人に向けてライブをすることは出来るけれど、創作はいつも孤独との闘い。

好きな人が出来ることはとても怖かったし、わたしもわたしで頑固だ。妥協とかなんとかそんな理屈ではなくてわたしは心で従う事しか出来ない。寂しさの埋め合わせ程度の人間関係なんかクソくらえだとも思った。騙しあったり嘘つきあったりは体力を消耗する。わたしはわたしとして素直に生きるのが楽なんだな。

今のわたしには、その変な孤独感がない。人それぞれ価値観があって、人それぞれ生き方があって、好きなもの嫌いなものがあって、それがたまたましっくり来る人間関係に恵まれている。

合う人なんて、好きな人なんて、居心地良い人なんて。そんな偶然の話だが、偶然を奇跡と思えるのはとても幸福だとわたしは思う。

そんな人間関係をとても愛おしく思っている。大切に守っていきたいと思っている。神様が1週間くらいで世界を作ったように、それくらいで人のこころ、世界が新しくなれるのかもしれない。恐れは何も生まないんだよなきっと。時間が経ったら変わるかもしれないこの思いは、ここに残しておく。

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