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オレンジに溺れたふたり【第2章 第2話 立場】

↓第2章 第2話


↓第1章 第2話 【大山才子SIDE】

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第2章 第2話 立場


大山の通っていた中学校に赴任してきたのはちょうど彼女が入学してくる年、28歳の頃であった。

彼女の第一印象は『極めて大人しい』

もちろん前任校でも大人しい生徒は何名かいた。しかし、彼女の場合は初めてのケースだった。

特に1年生の頃は酷く、担任は頭を抱えていた。副担任だった俺によく愚痴をこぼしていた。

「大山さん孤立してて。積極的に人と関わろうとしないんです。授業でグループを組む時はこちらから他の生徒に頼まないと入らないんですよ。」

確かに彼女は常に休み時間もイスに座って本を読んでおり、給食の時間も黙ってひたすら食べることに徹していた。

とりあえず俺は彼女に声かけをすることにした。

「その本面白いのか?」
「はい…。」

「そっか。さっきの授業分かったか?」
「はい。」

「おっ!大山、今日はゼリーに星が入ってるぞ。」
「ははっ。」

彼女が笑ってくれると少しだけ心を開いてくれたようで嬉しかった。

短いやりとりであろうが、毎日のように些細な事でも話しかけた。もしかしたら迷惑がられていたのかもしれないが。

そして2年生のクラス担任となることが決まり、受け持つ生徒の名簿の中に大山の名前があった時は思わず「ほー。」と声が漏れた。

また、当時若干荒れ気味だった末永と共に志田千夏という生徒もいた。

この志田という生徒は問題児だった。教師に対し「うるせぇ!」「うっざ。」など口答えはするし、気に入らない生徒は校舎裏に呼び出して泣かせるまで口撃していたらしい。

俺は大山が彼女に目をつけられないか心配した。

また、クラスのみならず学年全体が本格的に思春期特有の雰囲気に変化していた。

一番敏感な時期にさしかかった生徒たちをどのように扱っていけば良いのか懸命に模索した。

ある日、志田と末永が大喧嘩をしていると職員室にクラスの生徒が慌てて駆け込んで来た。

慌てて教室に駆け込むと、まさに地獄絵図。

「おめぇ調子こいてんじゃねーよ!」
「うっざぁ!手ぇ出すとか卑怯っしょ!」

志田は鬼の形相でひたすら罵倒、末永の頬は赤く腫れ鼻血が出ていた。クラスの生徒たちは動揺している。泣きそうになっている者もいた。

「おい!!!止めんか!!!末永大丈夫か!」

俺が怒鳴り散らすと末永が泣き崩れる。

「…とりあえず2人とも職員室に来い!末永は保健室に寄ってから!帰りの会は中目黒先生にお願いするから。えーっと…委員長…坂本!保健室まで付き添いお願いできる?」

また2人きりにするとまずいと思ったからだ。

「え…は、はーい。」

――

先に志田、遅れて末永が職員室に入ってきて、2人をそのまま生徒指導室に通す。

「で、どうしたのか?普段仲良しだろ。」

原因は大人から見たら本当にちっぽけなことだった。

・末永がゲーセンに行ったところ志田の好きな人(たっくん)とその友人たちと偶然会う→ノリで一緒にプリクラを撮る
・末永「たっくんが写ったプリあげる」→カッとなった志田が思いきり平手打ち→志田の爪が末永の鼻をかすめ出血

「普通その場でメールとか電話しますよね!知ってるくせに裏切りやがって!」
「はぁ?裏切ってないし!」

またもや口論が始まりかけた。

「はーい落ち着け!いやぁ青春してんなー。俺はこれまで女性に縁がなかったからよ。逆にそういうトラブルに遭ってみたかったわー。」

2人が目を見開き、ギャハハハハハと笑い出した。

「えっえっ!志賀センもしかして〜」
「ドーテーですかーあ?」
「ノーコメント!!」

まぁそうですが。というかさっきまでの緊迫した雰囲気はどこ行った。

それからも教頭に「ン゛ン゛!」と咳払いされるまで俺をおちょくって盛り上がり

「…美咲、手をあげてごめん。」
「こっちこそごめんね。」

よかった。俺の心はズタズタだけどいいや。

「はいはい、じゃあ2人とも仲直りの握手!」

その時に末永の片方の手を見るとポケットティッシュが握られていた。

「何だ、ティッシュ持ってたのか。」
「あぁ、これ大山さんにもらったんです〜。保健室まで汚れなくて助かった!」

まさかあの大山が。

「ビビったよね!教室出る時いきなり走ってきてさー。いっぱいあるから使ってって。」
「あはっ!よく見ると駅前とかで配られてる出会い系のやつじゃん!」
「多分断れなかったんだろうねー。大山さんらしい。」

まさか彼女があの緊迫した状況で、しかもピリついた彼女たちに近づいて発言するとは思っていなかった。

「そっか。大山が…感謝しろよ?」
「してますよ。あの子の笑顔癒やされるからついからかっちゃう〜。」
「…うち大山さんなんか好き。可愛いし磨けばもっといけるんじゃね?実際狙ってる男子何人かいるっぽいし!」

何だ、俺が心配し過ぎだったのか。

修学旅行や期末テストが無事に終わり夏休みに入る直前、志田が親の都合で九州の学校に転校することになった。

「はぁー。美咲たちと離れなきゃいけないなんてつっら…。せっかくたっくんと…付き合えたのに…。何で…うちだけ…。」

「志田、次の学校では校舎裏で呼び出しとかすんなよ!勉強頑張っていつか帰ってくりゃいい。みんないつでも待ってるぞ!」

涙ながらに頷いた彼女は現在、結局九州の方で高校卒業後に就職し、結婚して幸せに暮らしているという。

落ち着いた志田は最後に

「志賀センさ、好きな人いるっしょ?あいつの話題出した時の顔よ!」

え。

「普段うちらを見る目とあいつを見る目が違うし。気をつけないと。まぁ何か難しいけどファイト。あ、志賀容疑者にはならないでくださいねー。」

あぁ、やっぱりそうなのか。

――

3学期に入って各委員会の委員長・副委員長を決める時間がやって来た。

「じゃあ文化委員長になりたい人は手を挙げ…」

瞬く間に教室中がざわついた。

―大山が手を挙げたのだ。まっすぐに。

文化委員長は最大のイベントである文化祭を取り仕切る役目が待っている。それに加え、本番はもちろんだが、委員会の委員長となると会を進行させるなど人前に立つ場面が多い。

それでも彼女の目は明確な意思が感じられた。私は変わりたいんだ、と。こんな表情は今まで見たことがない。

「はい!はーい!静かに!じゃあ文化委員長は大山でいいな。」

『好きな人いるっしょ?』
『あいつの話題出した時の顔よ!』
『うちらを見る目とあいつを見る目が違うし。』

―いつからだったのだろうか。大山のことを極めて大人しくて心配な生徒から1人の女性として見るようになっていた。

――

『続いてのニュースです。女子生徒にわいせつな行為をしたとして県内の公立中学校教師、尾割田剛蔵容疑者(35)を強制わいせつの疑いで逮捕しました。マルバツ警察署によると…』

朝のニュース番組を見ながらパンをかじっている途中だったが、思わず手が止まる。

『尾割田容疑者は「同意の上だった、何が悪い」などと一部容疑を否認しています。しかし被害者は「無理矢理体を触られた」と語っており慎重に捜査を…』

いやいや…何が悪いって。相手は未成年だからだよ。

未成年に片思いしている時点であまり人のこと言えないが。

俺は絶対に彼女に対して何かしらアクションは起こさない。この被害者の女子生徒のように傷ついてほしくないからだ。

些細なやりとりや彼女を遠くから見つめるだけ、それだけで俺は満足だ。

満足…うん、頑張ろう。

――

3年生となり引き続き大山のクラスの担任となった。中学校最後ということもあり球技大会や体育祭などの行事は大いに盛り上がった。

そして、ついに文化祭本番がやって来た。

「自分を信じろ。頑張れよ。」

委員長挨拶での本番直前まで彼女にひたすらエールを送ることしかできなかった。緊張している彼女を見ているとこちらも緊張してきて足が震えた。

本番では何とか無事に終えることができた。

「よくやったな。」
「はぁー。ありがとうございます。」

白い肌がほんのり赤くなっている。俺も背中やワキにじんわり汗をかいていた。

文化祭終了後、大山の両親の元に挨拶に行った。

「おい、志賀先生がいらっしゃったぞ。今日はあり…」
「先生!いつも才子がお世話になってます。本当に先生には感謝してもしきれないです。」
「言わせてくれよぉ…。」

父親も母親もとても喜んでいた。

「いえいえ。才子さんの努力の結果ですよ。大山、本当頑張ったな。」
「ありがとうございます。」

少し照れているようだった。

『才子さん』

自分で言っておいて何だかくすぐったくなった。

――

「はーい!今日の小テストで5点以下は放課後補習な!杉田はなんでいつもほぼ白紙なんだ?」
「だって、分からないんだもの。」

そして

「大山、どうした?珍しい。」
「あ…忘れちゃって。すみません。」

放課後、問題を解いている杉田を含む5名の生徒を見守っていると、いつもはいないはずの大山がいるだけで少しだけ異質な感じがした。

しかも何故か一番最後に残った。

毎回最後に終わる杉田も「あれ?」みたいな顔をしながら教室を出ていった。彼は大山に片思いしているという情報を耳にしている。

彼女は細い手首でシャーペンをゆっくり走らせている。見てみるとまだ半分くらいだった。

周りを見渡せば夕日に照らされたオレンジ色の教室。

夕日に照らされたツヤツヤの髪。漂うシャンプーの匂い。雪のように白い肌。時折り動く長いまつ毛。

「終わりました。」

解き終わった後のプリントを渡そうと伸ばした大山の手が俺の手に触れた瞬間

「…っ!す、すまん!」

と思わず手を払い除けてプリントを落としてしまった。

彼女が屈んで拾おうとしてくれたが制止した。

「い、いいから!よいしょ!採点したやつはもう遅いし明日渡すから。まぁそれにしても珍しいな。大山が補習なんて。」

俺は冷静を装い、頬杖をつき語りかけた。落ち着け、落ち着け。

「はい…。すみません。」

いいんだ。俺はおまえと1秒でも一緒にいたい。

「俺は別に…。あ。」


視線同士が絡み合う。ほんの数秒だろうか2人の時が止まった。まるで溺れたように息ができない。


彼女の瞳は少し茶色がかっており澄んでいる。俺はそんな彼女の目が愛しくて仕方がなかった。

今なら誰もいない。このまま鍵をかけて

『同意の上だ、何が悪い』
『無理矢理体を触られた』
『強制わいせつの疑いで』
『尾割田…ジジッ…志賀光彦容疑者は…』
『大山さん可哀想〜!』
『ローリコン!ローリコン!』
『志賀先生、懲戒免職処分です。分かってますね?』
『光彦!この馬鹿息子が!!一族の恥だ!!』
『今まで何のために頑張ってきたのよ!』
『うちの子になんてことしてくれたんですか!!』
『そういうことするために才子に近づいたんですね!』


―俺は何を考えているんだ。

「…早く帰る準備しなさい。じゃあまた明日な。さようなら。」

ほんの数秒なのに、自分の立場を忘れてしまいそうになった。

―俺は無理矢理この空間から「さようなら」をした、つもりだった。

――

そしてあっという間に卒業式。

「大山、頑張れよ。」
振り返った彼女に一言だけ振り絞るようにと言った。
「…あ、せんっ…ありっがっ……」

嫌だ。離れたくない。ずっとそばで彼女と一緒にいたい。でも無理なんだ。

俺は恐る恐る彼女の頭をポンとした。
「あのさ…」 
「あ!志賀先生ー!写真撮ろうよー!」
後ろから他の生徒たちが俺を呼んでいる。
「…はいよー!じゃあ、また元気でな。頑張れよ!」
と呼ばれた方に行った。

というより逃げた。

また立場を忘れてしまいそうになった。

『あのさ…少しだけ手を繋いでほしい。』
『ジジッ…志賀容疑者を強制わいせつの…』

これ以上、彼女に会ってしまったら危険だと感じた。

――

「志賀先生!教え子さんが来てますよ。高校を卒業されて挨拶に来たんですって。」

あれから約3年後の放課後、職員室で仕事をしていると事務員に呼び出された。

「本当ですか。誰ですかね?」
「オオヤマサイコさんって言ってたかな。覚えてますか?」

嘘だろ…。

「覚えてますよ。」
「応接室に通しましたからね。仕事が一段落したら2人でゆっくり思い出話…」
「あー!今ちょっと忙しくて手が離せなくて!今から部活動なんですよー。今はねー。本当に申し訳ないと彼女に伝えてください!」
「はぁ?」

事務員から軽蔑の眼差しを向けられながら俺はそそくさと逃げた。そして大山の待つ応接室の前で思わず立ち止まる。ここに18歳になった彼女が…。すると後ろから

「先生の真似ー!お腹ボヨンボヨーン!」
「メタボダボダボ〜。」
顧問をしているサッカー部の生徒たちがちょっかいを出してきた。
「こらっ!ボールをそんな風に使うな仕舞えバカ!」
「てか顔赤くないっすか?」
「怒鳴ったからな!」

そのまま外に出てしまった。

部活動が終わり、机に事務員から
『大山さんより』
と書かれた付箋と共に可愛らしい手紙が置いてあった。

家に帰り早速封を開けた。

―志賀先生へ―

本当は直接お会いしてごあいさつしたかったのですが手紙ですみません。先日無事に高校を卒業する事ができました。4月から県外の大学に入学します。そこで心理学を学び資格を取ってカウンセラーになれるように勉強を頑張ります。先生も体に気をつけてお元気でお過ごしください。いつか飲みましょう(笑)

              ―大山才子より―


この手紙の下の方に携帯番号が書いてあった。かけるべきかショートメールを送ろうか迷っているうちに月日は流れ、気がつけば13年経っていた。

――

同窓会が終わってしまった。またあのいつもの苦痛な日常に戻らなければならないのか。

もしかしたら二度と会えなくなるかもしれない。

ならばせめて全てを壊す覚悟で伝えよう。

俺は気がつけばスマホをいじっている彼女の下へ走り出していた。

「…大山。この後ちょっと空いているか?」

―続く―


↓第2章 第3話



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