オレンジに溺れたふたり【第2章 第3話 幸せ】
↓第2章 第2話
↓第1章 第3話 (大山才子SIDE)
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第2章 第3話 幸せ
「あ…っと…何ですか?」
大山の少し冷たく壁を感じるような口調は、明らかに俺を拒絶している。全てを壊す必要もないかもしれない。
「いや…あの、あぁやっぱいいや!じゃあまた!元気でやれよー!」
「こちらこそ今日はありがとうございました。お元気で。」
俺は逃げるように彼女に背を向け杉田たちの方へ歩き始めた時だった。
「あの!先生!」
「ん?」
彼女はキョロキョロ周りを見渡し
「やっぱり大丈夫です。ちょっと歩いた所にベンチがある公園がありますので、そこでお話しませんか。変に思われないように時間ずらして行きましょう。」
と耳元で囁いた。シャンプーとアルコールの混ざった香りが神経をくすぐる。
「あ!いたいた!才子ちゃ〜ん!」
末永が近づいてくると彼女は何事もなかったかのように「ん?」と返事した。
心を落ち着かせるために空を見上げるとオレンジ色の月が浮かんでいた。
杉田や坂本たちと談笑していると、遅れて末永が
「才子ちゃんは明日用事あるから来れないって〜。」
と言いながら走ってきた。
「先生!今から二次会行きませんかー?」
「たまには羽目外しちゃえ。」
「いや、カミさんがうるさくてな。」
「えー先生来ないんすかー。残念!」
「菜摘ちゃん厳しい〜。まぁ愛されてる証拠かぁ〜。」
「おぅ。すまんな。また誘ってくれ。ありがとな!」
申し訳ないと思いつつも、この先の展開を考えるだけで期待と不安でいっぱいだった。
だが、自由の身になっている今こそ言わなければ後悔したままだ。
俺はもう限界だ。十分頑張った。
全てを伝えたら、死のう。
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妻に少し遅くなるという連絡を入れた。すかさず
『飲み過ぎてないよね。何を食べた&飲んだの?揚げ物食べ過ぎてない?タバコも吸ってないよね。』
という内容の返信が来た。相変わらずである。
『心配しないで。野菜中心に食べて揚げ物は控えた。酒も生を1杯だけ。タバコも吸ってない。じゃあ教え子たちが呼んでいるから。先に寝ていてください。おやすみなさい。』
嘘だらけの文章を送り、俺はスマホをマナーモードにした。
しばらく歩いても指定された公園になかなか着かない。腕時計を見ると15分以上は経っている。汗が吹き出してきた。
しかも上り坂が続く。登山はしているがさすがに飲み会のあとはキツい。
―何かご褒美くれるかな?
俺は自分の頬を思いきり叩く。そうこうしているうちに公園に着いた。
公園内のベンチに座っている彼女が見えると一気に疲れが吹き飛んだ。
「おい!大山、何でこんな!坂の上にある公園チョイスしたんだよ。」
「すみません。今の先生なら余裕かなって。」
「ははっ!何だそれ…。」
「冗談です。無理させてすみません。ここなら見られないと思いまして。」
彼女はそう言いながらミネラルウォーターを差し出した。
「あ、ありがとう。」
ちょうど喉がカラカラだったので一気に半分ほど飲み干す。彼女は申し訳なさそうに
「本当にすみません。あ、座ってください。」
と隣に座るよう促した。
「じゃあ失礼。あ、いやいやいいんだ。」
「…それで何でしょうか?」
少し茶色がかった瞳が公園の街頭に照らされて綺麗に輝いている。
「えっとその…。う〜ん。何ていえば…。」
「はい。」
いざ話すとなると何から切り出せばいいのか頭が混乱し、うつむきながら考えた。
いいや、もうどうにでもなれ。彼女が途中で逃げようが何でも構わない。
俺は前々から書いていた遺書の入ったバッグを一瞬だけ見て意を決した。
――
「大山…あのさ、引かないでくれ。」
「はい。」
「実は中学の頃さ、お前が成長する姿を見る内に気がついたら1人の女性として見ていた。もちろん犯罪だし無理矢理気持ちに蓋をしようとした。でもダメだった。」
何度自分の立場を忘れそうになったことか。些細なやりとりや彼女を遠くから見つめるだけ、それだけで俺は満足なわけがない。
15年という空白を呪った。同じ世代に生まれたとしても彼女にうまく想いを伝えられるのか想像できないが。だいたい俺はブサイクだし、彼女とは不釣り合いだ。
「本当綺麗になったよな。」
「ですかね?」
「うん。あの頃は…その、可愛いかったけど…今は大人になったから…って何言ってんだろうな。」「……。」
2人の間に沈黙が流れる。まずい。さすがに気持ち悪がられた。
「そうだ!お前カウンセラーになったんだって?頑張ったな。」
俺は話題を変えた。
「…先生のおかげでここまで来れたんですよ。本当に感謝してもしきれないです。」
「…お前が努力したからだよ。俺はただきっかけを作っただけ。」
「先生が毎日話しかけてくれたから私もだんだん頑張ろうって気持ちになったんです。自分を変えてみたくなって。」
こんなに話しているところを初めて見た。
同窓会の最中も感じたが、あの『極めて大人しい生徒』だった彼女の面影は全くなくなっていた。
13年も見ない間に大人になった彼女を見て嬉しい反面、遠くに行ってしまったようで少しだけ寂しくなった。
「ただ、1つ聞きたかった事があるんです。私が高校を卒業した後、先生に会いに行ったの知ってますよね?」
「…あぁ。あの時はすまんな。」
「手が離せないって言うのは嘘だったんじゃないてますか?」
それは…
「…怖かったから。」
「怖い?」
あの時、俺は応接室のドアを開けようと手を伸ばしかけていた。サッカー部の生徒たちが来るまでのほんの数秒だった。
「会ってしまったら俺はきっとお前への想いが爆発して、まだ未成年なのに手を出してしまいそうで怖かった。応接室ってさ、個室だろ?本当最低変態教師だよな。最初は自分が小児性愛者なんじゃないかとヒヤヒヤしたけど他の女子生徒には全く。お前だけだったんだ。挙句の果てには大人になったお前まで勝手に妄想して色々…。」
彼女が少し涙目になっているのが見えた。だが、止まらない。
「実は俺、もうカミさんと別れたい。もう限界なんだよ食事も趣味も何もかも制限されて。」
「そうだったんですか…辛かったですね。奥さんも先生が少しでも健康になってほしいからそうしているのでしょうが。逆にストレスになるようでしたら意味ないですよね。私だったら…」
俺は彼女の頭を優しく撫でた。やっぱり俺は彼女が心の底から愛しい。
「…好きだ。昔も今もずっと。」
手をゆっくりと頬に近づけた。柔らかくて冷たい感触が指に伝わる。
「嬉しいです。私も先生の事、ずっと好きでした。」
…は?
「忘れようとして他の男性と付き合おうかと迷いましたがやっぱりダメでした。先生、大好きです。」
気がついたらシャンプーとアルコールの香りに包まれていた。視界に彼女の顔がない。
―俺は彼女に抱きしめられていた。
嘘だ嘘だ嘘だ。
「お、大山止めろ、止めなさい。離しなさい!今の俺は何をするか分からない。」
「嫌です。離さない!」
何で。もっと世の中には俺みたいな汚れた奴よりふさわしい男性がいるではないか。
そんな思いとは裏腹に"欲"の波が押し寄せてくる。
「俺だって男なんだ!中学生のお前に惚れてた変態なんだぞ。」
「変態なのはお互い様じゃないですか。変態じゃなければ13年間一途に同じ男性の事を片想いしていない。初めてはあなたがいいんです!」
彼女もずっと想い続けていたとは。
「えっ!?本当に何で俺なんか…。いやもう今すぐ…したいけど。はぁー。何か仕事より難しいわ。」
と言いつつ抱きしめ返した。まさかこんな展開になるなんて思ってもいなかった。
「じゃあ、まずは奥さんと綺麗さっぱり別れてください。絶対に。別れたら連絡ください。」
そう言いながら連絡先を書いた紙を渡された。彼女は忘れているのだろうか。前に貰った手紙にも書いてあったのだが。
「うん…分かった。」
「私だって…28年生きてきて、こんな感覚初めてなのにめちゃくちゃにしてほしいんです。でも今はダメ。先生とは汚れた関係になりたくないんです。」
彼女は抱きしめながら背骨をなぞってきた。ゆっくりと何度も何度も。背中どころか全神経がゾクゾクする。
「…っ!」
俺もそれに合わせるように彼女のサラサラな髪に隠れている耳をなぞった。
「ん…せんせぇ…。」
互いに涙を流しながら甘く切ない空気を吸っては吐く。このまま時間が止まればいいのに。
ふと茂みに目をやる。このままあそこに連れ込んで…ダメだ。まただ。
何でこんなに最低なことを考えてしまうのか。
もう少しなのに。頑張れよ、俺。情けないな。
「ぐっ…。」
自分を責めてたら更に泣けてきた。すると彼女に頬を優しく撫でられた。しばらくして彼女の手が止まった。
「あ…。」
「あ!!」
俺は慌てて彼女から体を離した。トランクスが少し濡れていて気持ち悪いし何より恥ずかしい。
「変な想像しました?」
「…するだろ!あーパンツが…どうすっかな。」
「自分で洗えよな。」
「俺のマネすんな。」
彼女の目にはまだ涙が浮かんでいたが笑顔だった。2人で笑い合っていると何だかバカバカしくなった。
「私、ずっとずっと待っていますから。大好き!」
帰り道、遺書はビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。
――
「…いま、何て?」
「離婚してください。」
「え、理由は?」
「あなたと価値観が合わないからです。これ以上あなたに縛られる生活はもうこりごりなんです。」
「別れたら光彦さん、また昔みたいになるよ。誰のおかげでこの健康的な体になったと思ってるの。」
「その点は非常に感謝してます。」
いくら健康的な体になっても、これ以上この人と一緒にいると心が不健康になる。
「何よさっきから敬語で気色悪い。あー!そっか。他に好きな女ができたんでしょう!お義母さんが知ったらさぞ悲しむでしょうね!」
「……。」
「え…。嘘。」
「はい、好きな人がいます。」
「嘘だと言ってよ!ねぇ!もうルールなんていいから。光彦さんがいいの!」
「……。」
『ははっ。』
『はー。ありがとうございます。』
『先生が毎日話しかけてくれたから私もだんだん頑張ろうって気持ちになったんです。自分を変えてみたくなって。』
『先生、大好きです。』
『初めてはあなたがいいんです!』
『ん…せんせぇ…。』
『私、ずっとずっと待っていますから。大好き!』
「あら。こんな状況なのに…光彦さんったら。ふふっ。寝室にいこ…。」
「触らないでください、生理現象です。ちなみにお袋とは話をつけてます。当たり前ですが縁を切られました。とりあえずここに記入と印鑑。よろしくお願いします。」
「なっ…!私は嫌だからね!!」
「とにかく、離婚が成立するまで別居しましょう。」
「その女の家に行くの?」
「いや、彼女とはあなたと離婚するまでは連絡もしないし会わないと決めてますから。どこかボロアパートでも探します。」
「何それ気持ち悪…。」
その後も揉めに揉めたが結局、妻とは離婚できなかった。
向こうの両親に強く反対されたのだ。いくら土下座をしても殴られ蹴られた。
挙げ句の果てには、妻は勝ち誇った顔で「私は何が何でも志賀家の墓に入ります!光彦さんと死ぬまで一緒にいるって神様に誓ったんだからね。」と言いながら目の前で離婚届も破られた。
その間に母が死に、いくら縁を切ったからと言えども俺の精神は完全に病んでしまった。
仕事は問題ない。もう頭がバグっているのか何時間でも働ける気分。むしろ学校に住みたい。家に帰りたくない、家にいると息が詰まる。
獣臭い。
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ある夜、夢を見た。
最後に会ってから2年後、大山と再会し俺を見た途端嬉しそうに駆け寄ってきて
「…待ちくたびれましたよ。でもあなたが生きているだけで私は幸せです。」
「何だよそれ。」
「真っ赤になっちゃって可愛いですね。すぐ赤くなるから分かりやすいです。」
彼女は俺の頬を人差し指で突きながらからかった。
「止めろ!」
「先生、今度は私が先生を支える存在になりたいです。」
「おぅまぁ頑張れよ。」
夕日に照らされた道を手を繋いで歩いた。
「先生。」
「ん?」
熱を帯びた視線が絡み合う。
俺たちは彼女の住むマンションに着くなり、互いの13年分の想いをぶつけ合った。
「せんせぇ…愛してる。」
「俺も…愛してる。」
夕日に照らされたオレンジの室内が暗闇に飲まれるまで、俺たちはひたすら溺れた。
―そんな幸せな夢。最近ほぼ毎晩のように見る。
「光彦さぁーん、早く起きて!朝食できてるよー。」
夢の余韻を邪魔する獣の声がし、いつもの朝が始まる。
「いただきまーす。」
テーブルには色とりどりの朝食が並んでいる。
「光彦さん。土曜は病院だったよね?本当に私はついて行かなくていいの?病院って内科なの?どっか悪いの?何で教えてくれないの?」
「…1人で行けます。手が痛いんです。」
「…あっそ。分かったぁ。てかさ、何で太るかな~。隠れて何か食べてるでしょ?」
バリッバリボリボリ。
「…今夜も運動しなきゃね。ふふっ。」
今夜も目を瞑り耳を塞ぐ。そして、幸せな夢を見る。
永遠に目が覚めなければいいのに。
―第2章完・エピローグへ続く―
↓エピローグ
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