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オレンジに溺れたふたり【第1章 第3話 沈殿】

↓第1章 第2話

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第1章 第3話 沈殿


私は先生に声をかけるタイミングを伺う。周りにみんなが集まって笑いこけている先生を見ていたら今まで心の奥底に眠っていた思いが突然湧き上がってきた。

―先生は永遠に"孤独"な人だと思っていた。

毎日夜遅くまで残業をし、くたくたの体で部屋で出来合いの弁当を1人寂しく頬張り、一服しながら1日を振り返る。

『大山どうしてるかなー。』

そして盛大なイビキをかきながら寝て、気がついたら朝が来ていて絶望しながらまずは一服する。
その繰り返し。

そばには誰もいない。

家でも私の事を考えている。

それが私が勝手に両想いと設定した上で作り上げた"志賀光彦"という人間である。

…私はあの頃から夕日に染まったオレンジ色の教室を延々とさまよい続けている虚しい人間だ。

それなのに、先生は外から見ているだけでは物足りなくなって、今からそこに入ろうとしているのですか。

大切な人は置き去りにして。

期待しても良いのですか。

――

「あ、あの!先生!」
「ん?」

やっと話かけるタイミングが摑め、人がいないか周りを見渡し

「やっぱり大丈夫です。ちょっと歩いた所にベンチがある公園がありますので、そこでお話しませんか。変に思われないように時間ずらして行きましょう。」

みんなに聞こえないように最低限のボリュームで伝える。

「分かった。」

――

「二次会行く人ー!すぐそこのカラオケスナック行くから俺に付いてきてー!」
杉田がみんなに呼びかけている。ほとんどのメンバーが参加するようだ。
「あたし行くけど才子ちゃんどうするぅ?」
すっかり出来上がった美咲が聞いてきた。

「あー、ちょっと明日用事があるから今回は遠慮しとく。」
「そうなんだー残念!」
「またの機会に誘って。その前に結婚式!楽しみにしてるね。」
「うんうん!絶対呼ぶから!またね~。」
互いに握手をして手を振って別れた。彼女には幸せになってほしい。

そして私は公園の方へ歩き出す。空を見上げるとオレンジ色の月が浮かんでいた。

「えー先生来ないんすかー。残念!」
「おぅ。すまんな。また誘ってくれ。ありがとな!」
後ろで杉田たちの誘いを断る先生の声が聞こえた瞬間、何だかいけない事をしている気がしてドキドキした。

まるであの頃の先生の1つ1つの発言や動作にときめいていた日々のように。

――

「おい!大山、何でこんな!坂の上にある公園チョイスしたんだよ。」
汗びっしょりで息を切らしながら先生が遅れてやって来た。

「すみません。今の先生なら余裕かなって。」
「ははっ!何だそれ…さすがに食って飲んだ後はキツイって。」
「冗談です。無理させてすみません。ここなら見られないと思いまして。ぶっちゃけ私もキツかったです。これ飲んでください。」
ミネラルウォーターを差し出すと先生は一気に半分ほど飲み干した。

「ふぃー!」
「本当にすみません。あ、座ってください。」
隣に座った瞬間先生の汗の臭いが鼻をかすめる。
「じゃあ失礼。あ、いやいやいいんだ。」
「…それで何でしょうか?」

私は先生の方を見ながら問う。体型が変わっても相変わらず猫背になっている。

「えっとその…。う〜ん。何ていえば…。」
「はい。」

うつむきながら考えている先生の顔がだんだん赤くなる。私はなかなか次の言葉を発さない先生を待ち続けた。このような事は仕事柄慣れている。

だが今この瞬間は「早く早く!」とせかしたくなる。

――

10分くらい待っただろうか、先生がやっと口を開いた。

「大山…あのさ、引かないでくれ。」
「はい。」
「実は中学の頃さ、お前が成長する姿を見る内に気がついたら1人の女性として見ていた。もちろん犯罪だし無理矢理気持ちに蓋をしようとした。でもダメだった。」

「そうだったんです…か…。」

言いかけた所で先生はあの優しく切ない目で私を見つめているのに気がついた。私は思わず目をそらしてしまった。

あの目はどうも私の心をかき乱す。

まさか先生も私の事が好きだったなんて思ってもいなかった。奇跡的過ぎてこれは夢なのか、または近々世界が滅びるのではないかと考えてしまう。

「本当綺麗になったよな。」
「ですかね?」
「うん。あの頃は…その、可愛いかったけど…今は大人になったから…って何言ってんだろうな。」
「……。」

2人の間に沈黙が流れる。

「そうだ!お前カウンセラーになったんだって?頑張ったな。」
思わず「なんでやねん!」とツッコみたくなった。少しだけ期待していたのに。

「…私、学校でほぼ話さなかったじゃなかったですか。あれは話さないではなく話せなかったんです。外に出ると何を話せば良いのか分からなくて本当に苦しかった。でもこの体験があったからこそこの道を選んだんです。先生のおかげでここまで来れたんですよ。本当に感謝してもしきれないです。」

「…お前が努力したからだよ。俺はただきっかけを作っただけ。2年の時だったけ。文化祭の委員長に立候補しただろ?本番になってお前が挨拶してる時さ、感動して泣きそうになったもん。」
「先生が毎日話しかけてくれたから私もだんだん頑張ろうって気持ちになったんです。自分を変えてみたくなって。」

「それなら良かった。立派になったな。」

「ただ、1つ聞きたかった事があるんです。私が高校を卒業した後、先生に会いに行ったの知ってますよね?」

今だ、と思った。一番知りたかった真実を聞こう。私を早くこの空間から出して。

――

「…あぁ。あの時はすまんな。」
「手が離せないって言うのは嘘だったんじゃないてますか?何で会ってくれなかったんですか。」

「…怖かったから。」
「怖い?」

「会ってしまったら俺はきっとお前への想いが爆発して、まだ未成年なのに手を出してしまいそうで怖かった。応接室ってさ、個室だろ?本当最低変態教師だよな。最初は自分が小児性愛者なんじゃないかとヒヤヒヤしたけど他の女子生徒には全く。お前だけだったんだ。挙句の果てには大人になったお前まで勝手に妄想して色々…。」

「色々…。」
鼓動が早まる。私は先生とやらしい事をしたい訳ではなくただ抱きしめたかった。なのに今の先生を見ていると変な感じがする。

「実は俺、もうカミさんと別れたい。もう限界なんだよ食事も趣味も何もかも制限されて。」

「そうだったんですか…辛かったですね。奥さんも先生が少しでも健康になってほしいからそうしているのでしょうが。逆にストレスになるようでしたら意味ないですよね。私だったら…」

言いかけたところで先生は私の頭を優しく撫でた。

「…好きだ。昔も今もずっと。」

その手がゆっくりと頬に近づいて来る。その手はかすかに震えていた。

「嬉しいです。私も先生の事、ずっと好きでした。忘れようとして他の男性と付き合おうかと迷いましたがやっぱりダメでした。先生、大好きです。」

心に閉じ込めていた言葉をやっと伝える事ができた。私は今、ドアをこじ開けようとしている。

―気がついたら先生を抱きしめていた。

「お、大山止めろ、止めなさい。離しなさい!今の俺は何をするか分からない。」
「嫌です。離さない!」
「俺だって男なんだ!中学生のお前に惚れてた変態なんだぞ。」
「変態なのはお互い様じゃないですか。変態じゃなければ13年間一途に同じ男性の事を片思いしていない。」

ましてやイケメンでも何でもない。変な感じがする正体が分かった。

「初めてはあなたが良いんです!」

「えっ!?本当に何で俺なんか…。いやもう今すぐ…したいけど。はぁー。何か仕事より難しいわ。」
やっと先生は抱きしめ返してくれた。
「じゃあ、まずは奥さんと綺麗さっぱり別れてください。絶対に。別れたら連絡ください。」
私は連絡先を書いた紙を渡した。
「うん…分かった。」
「私だって…28年生きてきて、こんな感覚初めてなのにめちゃくちゃにしてほしいんです。でも今はダメ。先生とは汚れた関係になりたくないんです。」

抱きしめながら背骨をなぞった。普段は腰を痛めそうなほど曲がっている背中。きっと学生時代は教師になるために猛勉強、夢を叶えてからも日々の激務をこなしてきた証なのだろうか。

それに加え、奥さんからの過度の要求に必死に応える日々。

この人は真面目で純粋なのだろう。だから今こんなにも苦しんでいる。

先生はよく私に「頑張れ」と言ってくれた。私にとってそれは自分を変えるきっかけを作った魔法の言葉だった。

しかし『頑張る』と言う言葉は時に人を振るい立たせる一方で、時には呪いの言葉へ変わる時もある。

きっと先生は頑張り過ぎてきたのだ。周りや奥さんの為に必死になって。そして限界を感じるくらいボロボロになってしまったのだ。

涙が止まらない。彼も泣いているようだ。本当は今すぐにでもめちゃくちゃにしてほしい。2人の甘く切ない空気が虚しく漂う。

――

2年後、先生から『離婚しました』という連絡が来た。いつまで経っても連絡が来ないので少しだけ諦めかけていた時だった。

私は30歳、先生は45歳。久しぶりに会った彼は更に「私が好きだった先生」からかけ離れていた。

更に引き締まったお腹。

柔軟剤の香るブランド物のポロシャツ。

以前よりは脂ぎったおでこ。

タバコの香りはしない。

それでも私は戻ってきてくれた嬉しさでいっぱいだった。

「待たせてごめんな。」
「…待ちくたびれましたよ。でもあなたが生きているだけで私は幸せです。」
「何だよそれ。」
「真っ赤になっちゃって可愛いですね。すぐ赤くなるから分かりやすいです。」
私は先生の頬を人差し指で突きながらからかった。
「止めろ!」
「先生、今度は私が先生を支える存在になりたいです。」
「おぅまぁ頑張れよ。」
夕日に照らされた道を手を繋いで歩いた。

私は夕日に照らされたオレンジ色の教室から何とか抜け出せた。その先は暗闇ではなく更に夕日に照らされていた。

「先生。」
「ん?」
先生が見つめてくる。しかしそこに切なさはなく、代わりに熱さがあった。私は今度は逸らさず黙って見つめ返した。視線と視線が絡み合う。

部屋に着くなり、私たちは互いの13年分の想いをぶつけ合った。

夕日に照らされたオレンジの室内が暗闇に飲まれるまで、私たちはひたすら溺れた。


―第1章完・第2章へ続く―


↓第2章 第1話


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