【 もぐる 】 空中游泳#2
あたらしく始めたことは、大抵は最初の方は勢いがある。現にこうやって書いている。元来、飽き性なのでよっぽどしっくり来ないことには長続きしない。
「これを続けていればこんなメリットがありますよ〜」云々の類は、まず飽きちゃう。「いつそのメリットは来るんだ?」とイライラしてくるから。
「自然に息をするように出来ること」「無目的なこと」「勝手にやれてつべこべ言われないこと」こういう条件が揃ってくると続けていける。何より、「すき」「たのしい」「うれしい」が一番なのは言うまでもない。
「何かを極める」とか「深掘り」するっていうのは、どうも苦手だ。多分、人様から見たら割としてる方に見えていることが多いのかもしれない。ただ、自分の感覚ではキリがないし、どの辺が深い領域なのか分からないというのが正直なところだ。
十分な前例と偉大な先人が目安を作ったものに対して、コツコツと邁進できるほど辛抱強くはないのだ。
「これぐらいやったら、これぐらいのレベル」「この賞をとったら、これぐらい立派」のような、社会が作り上げてきた目に見えない尺度も鬱陶しい。
そして、一生を賭けてひとつのことを極めようという方には到底及びようがない。比べるものでもないし、そもそも比べものにならない。18年間つづけた職人仕事の前職も離れたことだし、もうその線を選択することはしない。
こういったことが腹落ちしただけでも、ひとつの仕事を長く真面目にやったことでの大きな収穫だ。
自分には「一瞬のきらめき」のようなものの方が性に合う。
「一瞬のきらめき」に一生を賭けたら「きらめきの一生」になる。
毎日、海を眺めている。キラキラしてうつくしい。朝も昼も夜もキラキラしている。雨でも曇でも嵐でも。
ダイビングはまだやったことはないが、あのキラキラに飛び込んで潜ってみたい。光が届かないと思うような深さにも、キラキラしたものがあるはずで、それをこの目で見てみたい。
きっと、ヒトが生まれてくる時は、キラキラを目がけて地球にやってきて、死に向けて深海の闇の中へと進んでいくのだろう。
深海の先に何があるのか。それは、潜ってみないことには分からない。だからこそ、目の前にある「一瞬のきらめき」に向けて泳ぎ続けていく。
漆黒の闇の向こうに光る扉があったらいいな。
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