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題:Life in Prison 作:スタンリー・ウィリアムズ

本日5月29日(アメリカ西海岸)は、未だ数日前にミネアポリス市で起きた事件(警官が黒人男性をジョージ・フロイトを間接的に殺害)で市民の怒りが収まらず今日もLAPD(ロサンゼルス市警)本庁前から始まりダウンタウンのフリーウェイにまでもプロテストが行われていました。

今日、特に酷かったのは、ジョージア州アトランタ市でここは昨日のミネアポリスの如く人々は荒れ狂って警察と何度も衝突が起きていました。

事件の経緯をこちらに記載しましたので良ければ一読下さい。

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本題:私が作者のスタンリー・ウィリアムズ(通称:トゥーキー)を知ったのは、渡米して数年した夏でした。当時、私は学生でしたが、とある音楽プロダクションで、ラッパーのマネージャーとして日々インターンとして活動していました。ちなみに私が初めてマネージャーをしたラッパーの名前は、フェディー・デマルコと言います。

当時は、私も20代初頭でイケイケだったので何度もフェディーとは衝突していたんですが、実はフェディーはトゥーキーの甥っ子だったのです。私がその事を知ったのは、マネージャーをし始めて暫くしてからだったので、本当驚愕でした。当時フェディーはもちろんクリプスの有名人でワッツ・インペリアルコーツ出身の生粋のクリップボーイだったのです。そして、トゥーキーの昔からの友人であるICE-T(アイスティー)の秘蔵っことしてフェディーはデビューに向けて活動していたのです。

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アリゾナでのDUBショーにて (左からショーンEショーン、リトルクリス、Ice-T、フェディー)

そんなフェディーと毎日スタジオに行きレコーディングをし、家まで送るというルーティーンが続いたある日、サンクエンティン刑務所で叔父が処刑されてしまうという事をフェディーは私に伝えました。当時は今のようなインフラが整っていない時代だったので私は家に帰って直ぐパソコンでトゥーキーの事をリサーチし始めました。

スタンリー・トゥッキー・ウィリアムズ3世(Stanley Tookie Williams III、1953年12月29日 - 2005年12月13日)は、アメリカの犯罪者、社会運動家。4人を殺害した元ギャングの死刑囚。

ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。1971年にストリートギャング「クリップス」に加わり組織を拡大した。1979年に2件の強盗殺人容疑で逮捕され、1981年に死刑の宣告を受ける。収監後、改心し反ギャング活動を行い1996年からギャング暴力に反対する9冊の本を執筆している。2001年から2005年の間ノーベル平和賞にノミネートされ、多数の減刑嘆願書が出されていた。しかしアーノルド・シュワルツェネッガー州知事は、ウィリアムズが自身の犯した殺人事件を依然として否認し、謝罪も行っていないことから「証拠を検討したが、恩赦を出す余地は見いだせなかった」と今回の決定を説明した。この決定に従い、収監されていたカリフォルニア州サン・クウェンテン連邦刑務所で予定通り12月13日午前0時1分(現地時間)にウィリアムズへの薬物注射による死刑が執行された。 Wikipediaより引用

調べると、2000年代当初は、まだ死刑執行前で自分のようにならないようにと云うテーマで子供達に向けて本を獄中から執筆し、アメリカの著名人をはじめ、ネルソンマンデラ大統領からも感謝の手紙を受けていました。世界各地の貧困層の子供たちに勉強をする事、ギャングになる末には死か独居房しか待っていないなどと本を通じて諭す活動が認められ、この紹介した本もノーベル平和賞にノミネートされていました。それと同時に、各地のギャングのOG(頭首)にも獄中から働きかけてLA暴動の後のロサンゼルスを沈静化する運動もしていました。

2005年の死刑執行前に上告しましたが、棄却され、そこから、トゥーキーの死刑を差し止める嘆願書が各地で署名され始めます。著名人・ラッパーで言うとスヌープドック、そして映画でトゥーキーを演じたジェイミー・フォックスも活動に参加しました。もちろん私とフェディーも加わりましたが、2005年12月にトゥーキーは残念ながら死刑執行されてしまいました。

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(英語ですが全編良ければこちらからどうぞ)

トゥーキーの死後、しばらくロサンゼルスでは、各地のフッドで抗争が起こり、本当に多くの若者が命を落としたり、捕まったりと混乱が続いてしまっていました。フェディーも音楽に集中出来なかったり、精神的に荒れたりして、とうとうレーベルからも見放されて、同時にラップシーンがサウスにシフトしていってしまい完全にデビューを逃してしまいました。

2002年のザ・ゲームのデビューそして、二プシー・ハッスル、ケンドリック・ラマーと怒涛のLAラッパー勢と共にデビューしていけなかったことは、フェディーをどん底に落としていきました。デビューを逃した後も私は彼を励まし続けましたが、私自身が鬱病になった事をきっかけに2010年遂に私はフェディーと決別してしまいました。

以降私の手元には、フェディーの叔父のトゥーキーの本のみが残されていて、そのうちの1冊がこの本になります。私がラップを一時期本当に聞くことも出来なくなってしまった時に支えてくれたのは、数々の本でした。中でも亡くなったトゥーキーの言葉は私を励まし続けました。だから私はこの本を何度も何度も読みました。死にゆく人の言葉はとても重くそして説得力がありました。私は、ほぼ1年かかりましたがその後少しずつ何とか普段の生活に戻って来れたのです。


そして今、各地で差別され、貧困やドラッグで苦しんでいる若い特に黒人の子達に是非この本を読んで欲しいと思っています。何とか怒りのベクトルをプラスの方向に是非向けて生き抜いて欲しいんです。どうか暴力で問題を解決出来ると信じないで欲しい。

"Working together, we can put an end of this cycle that create deep pain in the hearts of our mothers, our fathers, and our people, who have lost love ones to this senseless violence" Stanley Tookie Williams   (無意味な暴力によって愛する人を失った両親や友人にもたらす深い悲しみの連鎖をもう終わらせられるよう共に協力し合おう)

私に出来る事は本当に限られているけれど、この怒り狂った状況下でも勉強をして自分を高めていく事だけは止めないでいこうと思っています。

世界数十ヵ国で翻訳されたこの本ですが、今回日本語で訳してあるものを見つけられませんでした。もし機会があれば、いつか翻訳してみたいと思う今日です。

Rest in Peace, Uncle Tookie.


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