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子どもとの世界へ

介護の世界が終わった

介護疲れで廃人になり、
それも許されず、子どもと引き離され、1ヶ月で介護の世界へ。
そこから、有料老人ホームや入退院、コロナ、引っ越し、リハビリ病院、
老人福祉施設、介護面談、専門家相談、面会、就活、仕事、
次の老健探しなどなど、ノンストップだった。
一人ですべてを担い、体も心もボロボロになった。
そんな状況を知らないまま、親は安らかに老衰で亡くなった。

教えてもらったこと

1ヶ月は何もできなかった。それくらい全てが疲れていた。
長く生きることは素晴らしいことだと思っていた。
けれど、自宅で過ごせないから施設で過ごす様子は、
完全に自由が奪われた世界だった。
できるだけ、楽しく過ごす工夫をした。

しかし、
介護をする家族にとって、特に一人で役割を担うことは
仕事・時間・労力・お金・生活・睡眠などが
破壊される現実が待っていた。

これだけのインパクトある介護を、
子どもには同じ思いをさせたくないと強く思った。

親の介護は義務だし、親のことは本当に大切に思っている。
しかし、この気持ちを遥かに超える苦行が待っている。
全てに強烈な重量のおもりが上からいくつも降ってくるイメージ。
あらゆる支援や相談、施設をフルに活用しても、解決できない。
そんな世界だった。

家族の支援があったからこそ、生きてこれた。本当にそう思う。
本当に涙が止まらないくらい、感謝しかない。
みんなよく頑張った。

経験から生まれたノウハウ

介護の苦しみをどう乗り越えるのか?
様々に試行錯誤した。
病院へ行き、入院したら介護ができない。
自力で治すしかない。

ーSNSをやめる

SNSの投稿が全てキラキラしているように見える。
自分が置かれた状況がいかに惨めか、見るたびに感じた。
明日を生きる力を蓄えないと、生きていけない。
そんな状況だから、嫌なものは触れない・見ないことにした。
自分の年齢で親の介護で大変な人がいなかったことが大きい。

ータダ働きの用件を全て無視

世の中には、名も無い家事以外にも
名もなき仕事がたくさんある。
「これできるならやってほしい」「交通費だけしか出ないけど」
というたぐい。
介護のお金がかかり、明日の食べ物を買うお金も惜しんでいる状況で、
労働の対価が支払われないものは、全て無視した。
そうゆう頼み事をしてくる人は、自分の利益しか見ていない。
親の介護のことなんか考えてくれない。
それに割く時間があるなら、自分の体を休めたい。
丁寧にお断りする時間もカットした。

ー家から出る・寝る

1時間でも2時間でも、介護と無関係な場所へ行く。
見える環境を変える。
あるいは、目を閉じて、耳栓をして、寝る。
夜間に起こされることもあるから、日中の安全な時間にとにかく寝る。
乳児の時の寝不足より、大人の介護のほうが睡眠が少ない。
体力も精神も消耗する。

ーアルバイトでもいいから働く

覚えればできる仕事につく。
働いているだけで、安心が得られる。
働ける時間が少ししかないので、私はコンビニにした。
とてもリフレッシュでき、有意義に働けた。
介護で遅れる時があっても理解してもらえて、とても助かった。

ー自分を大切にする

ケアマネは何人もお世話になったけれど、
私や子どものことを考えてくれる人は皆無だった。
家族の話は、あえてしないようにも見えた。
だから、自分のことは自分で大切にしないといけない。
自分用に心のケアプランを作成した。
・何が心が安らぐのか?
・何をすると次の日に体が楽なのか?
・どうすれば元気が出るのか?
いろいろ試行錯誤して、
良かったものをタスク管理アプリを使って整理した。
自分専用の心のケアプランが完成した。

ー身なりを整え、規則正しい生活をする

廃人になった時は、起き上がれなかった。
頭では、もう起きて子どもにご飯をつくらないとと思っても
ふとんから出られない。ふとんの中が心地よく、すぐに眠ってしまう。
パジャマで過ごす生活になり、外にも出ない。
人として何も役に立たない状況だった。
だから、まず時間を守ることから練習。
朝、定時で起きる練習をした。
朝シャワーを浴びて体を温め、
アイロンをかけた白いシャツを着る。
スラックスをはき、ビジネススタイルで家を出る。
くつは磨いて、ピカピカにする。
髪を定期的に切りに行く。
これを継続した。
もう廃人にはならない自信が生まれた。

ー対応できない時間を作る

頭を悩ませたのは、病院や施設、ケアマネが
時間構わず連絡してくること。これが恐怖だった。
この毎日のようにかかってくる電話に出ていると、
仕事もできないし、気分も休まらない。泥沼にはまる。
アルバイトを始めてからは、「この時間は電話に出られません」
というようにした。
しかし、病院は平日日中しか連絡できないとのこと。
病院から「いつも電話に出られないですよね」と言われたこともあった。
「食べ物を買うためには、働かないといけないので」と伝えた。
あまりにも理不尽な用件でかかってくるので、
地域包括支援センターへ相談しに行き、施設へ電話してもらった。
とにかく、自分の休日は、完全に電話がかかってこないようにした。
自分の休日は、自分のために使うを徹底した。

ー体力をつける

アルバイトを1つ増やして、工場でも働いた。
両腕や全身を使う作業を多くした。
介護で室内にいる生活が4年もあったせいで
筋力が相当落ちていて、体重も増えていた。
そこから、体全体を動かす仕事を入れたことで、
全身に激痛が走った。腰だけや背中だけ、太もも、足の裏など
部分的に次から次へと痛くなっていく。
電車の駅で座ったら動けない日もあった。
それだけ、体全身の筋肉が落ちるということ。恐ろしい。
1年かけて、今では痛くなることはなくなり、
自転車で片道20km走れるまで回復した。

子どものケア

本当に心から感謝しているのは、フリースクールの存在。
信頼できる会社で、信頼できる担任がいる。
5年間も同じ担任に見てもらえた。

私が介護に関わっている間に
子どもの様子を見てくれて、相談にのってくれた。
発表会で発表する作品の相談にものってくれて、
生活をサポートしてくれた。

1週間に1度は面談をしてくれて、日々の様子を確認してくれた。

私は、毎日のようにスカイプで内容を聞いたり、LIVE配信を見るのが
本当に心の支えだった。信頼できる会社やスタッフがいたから、
子どもを安心して任せることができた。
だから、介護と不登校のW問題を乗り切ることができた。