見出し画像

子どもの話を聞くことの大切さ

今までの不平等な遊びに付き合い、文句も言わずに強い子の意見を聞いてきた。学校を休みながら、なんとか気持ちを保ってきたけれど、とうとう表に出してしまった。そしていつもどおり怒られ、本当の問題は解決しない。

先生が見せかけの出来事ばかりを見て怒ると、隠れてやっていることが助長される。意地悪はやっても大丈夫だと思う。
見つからなければ、怒られない。恐ろしい世界。

恐ろしいクラス遊び

ほとんど休み時間がない学校生活を送っていた。
「プリントのなおしをやりなさい」
「書けていない人は休み時間にやりなさい」
「○○をやってから休憩してください」と言われる。

いつも休めないまま、次の授業になる。
頭はヘトヘト。集中できない。ぼーっとする。
これが「学校が疲れるから嫌だ」という一番大きな原因。

そんなある日、20分まるまる遊べる時間があった。
しかし、クラスレクをしようということになり、がっかりする。
なぜかと言うと、決まって特定の人が絶対つかまらないし、
自分が集中攻撃を受けると決まっているから。
これは1度や2度の話ではない。いつも。

この日も、「また狙われる」と思いながらも、走って遊ぼうと参加をした。
案の定、○○くんは、仲間に守られ、絶対に鬼にならない。
そして、自分ともう1人の子が集中攻撃され、何回も鬼になる。
ゲームが終わると、「どうしてこんな遊びに参加したんだろう」
と泣きそうな顔で教室へ戻る。他の子も見て見ぬふり。

最後の本音を書く

クラスレクの後、クラス委員がアンケートを行った。
「クラスの遊びは楽しいですか?(しょうじきに)」というお題。

この時、「しょうじきに」という文字が頭から離れず、
思いがこみあげてきた。いつも言わないことを言ってみようと書いた。
けれど、書いている間に感情が高ぶってきた。

動画のセリフで「消えろ」という捨て台詞が頭をよぎり、
クラス遊びごと消えてしまえー!という気持ちがいっぱいになり、
とうとう本音を書いてしまった。

画像1

きっとクラス委員さんは、遊びを考える時に
つまらない人がいるかもしれないから、
本音を聞いて、遊びを工夫しようかなと考えていたと思う。

そこへ、日頃の恨みを晴らすくらいの回答を書いてしまった。
それは、有利な条件にしている子に向かって言うことを、
本人に言わないで、八つ当たりしてしまった形。
確かに「しょうじきに」書いた。けれど、思いやりに欠けていた。

ずれている先生の指導

私だったら、子どもにどうしてこのように書いたのかを聞き取り、
特別扱いされている子やそのとりまきの子、集中攻撃をされた2人を
よんで、お互いに気持ちを話し合う時間をとる。

画像2

しかし担任は、いつもこんなことを書かない、不登校ぎみな子が、
こんなにも感情的に訴えている文章をおかしいと思わない。
「気のせいです!」と。
背景にある出来事も聞いてくれる時間はなく、プリントが返ってくるだけ。

画像3

アンガーマネージメントをしようねと指導される。
子どもはもう学校へは行かない。最後に書いた本音だった。

しかし何らかの手段で、クラス委員の子にはあやまったほうがいいと思う。
いくら本音でも強烈すぎる。伝え方が悪かった。
相手を思いやり、書く方法もあったはず。これを期に学んでいこうと思う。
(不登校になるくらいの子の心理で書けるのかは不明だけれど)

しかし、書いた本人がムカつくのは当然の出来事。不平等すぎる。
特定の子のために、学校があるわけではない。
教育者に言うのも失礼になるけれど、
先生もどうしたらいいかを考えたほうがいい。
だから、クラスは荒れていく。雰囲気が悪いのは親も感じる。

これから面談がたびたびある。
その時にこの件について、話し合うことにする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あとがき

この件が置きてから1年が経った。今でも忘れられない。同級生も当時の先生も、その後に不登校になっても、このことでとても傷ついたことには理解できていない。

今日は、メディアの記事に的確に捉えている内容が掲載されていた。この記事に書いてある通り、ドッチボールは嫌な思いをするゲームだし、それをクラスレクで全員が強制的に集められることにも問題があったのだと思う。それが普通で、嫌な思いをした人も「ゲームだから仕方ないよね」というのは乱暴な解釈だと改めて思った。