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居心地のいい喫茶店

長野に住むお友達が先日誕生日だったので、LINEギフトで500円×6枚分だったかなんかのスタバのチケットを贈った。

そこについてきた、贈り主にも1枚あげるわね!的なチケット(500円分)でドリンクを買った。
フラペチーノなんて、というかそもそもスタバなんて滅多に来ないので、ここぞとばかりに糖分摂取。

わたしは喫茶店巡りが好きなので、そのお店の居心地の良さについてよく観察している。その人が喫茶店というものに何を求めているのか?ということにもよると思うので一概に言えることではないが、少なくともわたしにとってスターバックスの居心地はあまり良くないものである。

おしゃれな調度品、高い天井、開放的な空間は素敵だと思う。あと、店員さんの接客とメニューのカスタマイズ、注文システムなどは素晴らしく魅力的だ。

しかしわたしの求める喫茶店の居心地の良さとは、どこまでその空間に溶け込めるかである。作業に没頭できるほどその空間が自分を許容してくれていると感じられるか。

たくさんの客を迎える想定で作られたスターバックスは、わたしの需要にこたえてはくれない。

というか、なんだろう、そもそも「喫茶店」と「カフェ」は別物かもしれない。

スターバックスは「カフェ」で、カフェとはわたしにとっては誰かと出かけた先の休憩の場、おしゃべりの場、軽飲食の場、というイメージ。外交的な自分が行く場所、コミュニケーションの場、のような感じがしている。

一方喫茶店に対しては、自分が自分と対峙できる場所、であってほしいと願う。社会的な鎧を纏わずにただリラックスして、読書をしたり、物書きに没頭したり、あるいは仕事が出来たりしたら最高だなという、願い。

まあ喫茶店でできるような仕事、つまりお金を稼ぐ手段は持っていないので、必然的に喫茶店でやることと言っても読書と物書きくらいにしかならないが。

くらいにしか、なんて書いたが、この読書と物書きに集中できるお店って、とても少ないんだよ。

それはわたしが都内に住んでいて、基本都内のお店にばかり行くというのもあろうが、人が多いことも、出入りが激しくて落ち着かないことも、客席の配置や人との距離感が近いことで人の視線や声が気になりすぎることも、総合的に見たすべてが集中力を欠いてしまう。自意識過剰だ。分かってはいるが気になるもんは気になる。

わたしと同じように、喫茶店で読書や物書きや仕事、内省的なこと、に集中したいという願いを持った人って案外多いなと思うのが、

都内には本を読むための店というのがいくつかあるのである。
GoogleMap的にいえば、「カフェ・喫茶店」という括りにはなるのだが、端から本を読むための店!と限定的で、例えばあまり物音を出さないでくれとか、会話はしないでくれとか、お店にもよるだろうが制約を設けているのだ。

確かに読書には集中出来るかもしれないが、、難しいなあ、間口を広くすればスターバックスと同じあるいは近いものになってしまうけれど、制約を掛けすぎるのも何だか窮屈で何度も来たいとは思えなかった。ただ、そのコンセプトはやはりユニークで他に無いものだから、希少性が買われることはあろうな、と思う。

ネカフェという手もあるが、結局壁に区切られた個室となると脱力し過ぎて、集中にはいたらない。開放的になりすぎるのだ。
休む目的であれば、銭湯もネカフェもよい場所だと思うが。

なにか作業に集中したいときには、わたしは程よい監視というのが欲しいのだな、そうだ。
監視とまで行くかはわからないが、他者がいるという緊張感が「ちゃんとしなければならない」と身を正してくれる。

自分が何を書いてるのかや何を読んでるのかの具体的なところまでは分からなくても、あの人は作業をしている、と視界の中に入れて置いてもらうことで、意識をここに留めながら目の前の本や書くべきことに集中することができるような感じがする。

眠りから覚めて、更には家から一歩外に出れば人は様々な鎧を纏わずには生きてはいけないが、できる限り鎧でも荷でもなんでも下ろした状態で深く腰かけて、許されるだけそこに居られる場所が欲しい、と思う。

だとするなら、それは喫茶店である必要は無いのではないか?という単純な疑問が頭をもたげたが、
喫茶文化や、珈琲文化、すべて込みで考えなければ出発点がおかしくなってしまう。広義にしすぎては、じゃあ銭湯みたいな分かりやすいリラックスのための施設でもええんじゃないの?と。それでは話が違ってくる。

「喫茶店」の喫茶、とは?Google先生に尋ねると、茶を喫すること、つまり茶を飲むこと。喫茶店は茶を飲む店だ、とのこと。当たり前のことを突き返された。

タバコを吸うことを昔は煙草をのむ(呑む、飲む、喫む)、といった。だから喫煙だ。この「喫」という字は色んな読み方ができるようだね。

喫茶店、である必要はある。わたしは喫茶文化を、珈琲文化を愛している。愛しているという言葉を委ねてもいいほど知ってはいないのかもしれないが、好きだと感覚的に言えるものを人生の潤いのひとつとするのは素敵だと思う。

間口は程よく広く、多くを受け入れる姿勢でありながらも他者との境界線をきちんと設けられ、居心地がよく長居でき、作業に集中できる喫茶店。ただの休憩でもいい、誰かとの時間に寄り道したっていい、干渉しすぎることはないが、大きな心で受け止めてくれるそんな、喫茶店。

わたしはいつか、そういうお店を自分でやってみたいなあと思う。そんなことを考えた、原宿のスターバックス。


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