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遠き墓標

 警察というのは疑うのが仕事である。常々、彼は言うのだった。
「警察がなんだ。馬鹿警察の言うことは聞くな。」
馬鹿警察とは全く的を射ていると思う。

 彼女が去って真っ先に後ろ指を指されるのは彼だった。
「愛情が足りなかった。」
「かわいい姪を大事にしなかった。」
親戚というものは、そういうものなのだろう。被害者に徹している方が都合がいい。そうして彼の兄までもが弟に疑念を持ったとき、彼は自身の家族に対しても失望を禁じ得なかった。

 「果てまで墓参りなど行けるものか。」
彼を呪い蔑む。遠き墓標は彼女の故郷に建つ。

 彼は信心深い。神道や仏教なんかの経本を持ち歩くこともあった。自分が死んだことを知らない魂は彼の元を訪れる。決まって背筋を凍てつかせるような冷や汗をかくのだという。経机に向かい蠟燭を焚く。経を読み始めると火は真っすぐと力強く燃え上がる。無事に辿りつくと彼らは挨拶に来るのだそうだ。晴れやかな表情で。こうして幾人も送り届けたと私に話して聴かせるのだった。

 彼女の墓は五輪塔と呼ばれるもので彼が見繕ったものだ。彼女の死は大罪である。そして彼は伴侶が地獄へ落ちることに抗うのだった。雨風に打たれ消えてしまったが、墓の敷石には般若心経が1文字ずつ書かれていた。
「どこにいるんだろうなぁ。地獄ではないと思うんだ。」
彼女は挨拶に来なかったのだろう。

 今日という日を生きて、私は遠き墓標へ向かう。道すがら自販機で缶コーヒーを買った。鬱蒼としていた墓の周りは杉林を切り倒されて日が当たるようになっていた。プルタブに指を引っかけて想う。私が彼女の目に映ることはないのだと。
 「インスタントコーヒーが好きだったんだよ。甘いやつがね。」
母なき仔はコーヒーを注いだ。彼女の渇きを癒すために。

 

 

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