ポルノとの決別 ~性依存からの脱却~

ーポルノ依存に苛まれるすべての人に捧ぐー

私は、ポルノ依存症だ。
ポルノを見たくなる。自分の欲求を満たすために。
試験勉強していても、シャワーを浴びていても、布団で寝ていても、運転をしていても毎日ポルノを見たくなる。
そして毎回終わりには、欲求に屈し、ポルノを見ることでひと時の安泰を得る。
でも時間が経てばまた見たくなり、欲望に負けポルノを漁る。そんな生活を数年繰り返していたーー。

そんなある日、ひょんなことからポルノを辞めることによって得られるメリットについての外国の動画を見た。
ポルノ中毒は「性依存」の一種で、日常的にポルノを見続けることが、慢性的な不安感や抑うつ症状に繋がるんだと。
自分に当てはまることだった。正直に言って最初は認めたくなかったが。

でも考えてみてほしい。
日本は世界有数のポルノ大国だ。マニアックな性癖であろうと何であろうと、ネットを探せば自分の望むコンテンツをいつでも、どこでも見つけることができる。さらに、スマホやタブレット端末、コンピューターといった電子機器の普及も相まって、今ではVRゴーグルを用いたポルノまで出てきているとか。
そんな風景を「当たり前」として暮らしている。そして我々もその恩恵を享受している。何の疑いもなく、渇望する心を満たすために。

私は自分がポルノ依存だと薄々は気づいていたが、それをしっかりと自覚してポルノとの決別を図るまでには数年を要した。
なぜならポルノはドラッグと同じだから。
見るのをやめると、2~3日は我慢できても、猛烈な欲求が頭を襲う。で、見る。ひと時の平静を得る。
まるで炎天下の砂漠で彷徨って、カラカラに乾いた喉を潤すために、どれだけ汚いかも分かりゃしない沼の水さえも狂ったように飲んでいる、そんな感覚。

だが今から2週間前の7月中旬頃に、私はポルノとの決別を決心した。
もう二度と、この薄汚い沼の水を飲まない。自分を取り戻していくためにと。

操り人形のようにポルノに踊らされて、貴重な時間やエネルギーを浪費して、いったい何が得られるのだろう?
きっと、これを読んでいる中にも一部いるだろう性依存の方達にとっては、耳が痛くなるような話かもしれない。
でも、私は決心した。一度強く決めたことだ。最後までやり通そうではないか。

私がこれから執筆していくことは、世の大抵の人々にとってはあまり好かれるような話ではないだろう。
シリアスであるだけでなく、皆が薄々自分もそうだと気づいているセンシティブな内容。
抑うつ、無気力、不安、強迫観念―
あなたがもし、そんな漠然とした大きなものに苛まれているのであれば、耳は痛いだろうが、多少の参考にはなろう。

ちなみに、これから私がこの執筆をつづけるということは、当然私がポルノを辞める状態を継続しなければいけないということだ。医者の不養生と同じで、自分自身がポルノとの決別を宣言している限り、それを実行していくほかはない。

今こうして執筆している間にも、ポルノを見たい欲求に駆られている。たかだか2週間しか辞めていないのに。いままで自分がどれだけポルノに流されてきたのかを実感している。

だから、あなたがもし私と同じような状況なのであれば、私の記事を読んで、あなたもポルノと決別することを実行して欲しい。
ポルノを辞めることがどれだけ難しいかは、私は痛いほどわかる。
でも、そこで心を鬼にして欲求を満たさず、ひたすらにポルノを無視していかないことには、次へのフェーズには進めない。
そうして、長い時間と勇気を使いたどり着いた最後のフェーズには、必ず一筋の美しい光が見えると、私は信じている。

長々と綴ったが、ひとまず今回はここまで。次回、また近況報告と、なぜポルノを我々がやめる必要があるのかについて話を進めていこう。

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