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ノンデュアリティのその後はどうすればいいですか?

クリエイションするときに、分離の意識ベースだと、それぞれ基本的な合意がなくて、各々それぞれにてんでバラバラにクリエイションすることになって不都合があります。かと言って、誰かが決めたルールに賛同するというのはデュアリティの見え方では賛否両論の対立意見があります。

なのでどうするのかと言うと、自分で決めさせるのが一番手っ取り早いです。それをどうするのか、というと『事実』に直面させるということですね。何が事実か分かれば、何が空想か分かるようになります。一番早いです。事実は固定値なので誰でもが同じ目線に立つことが可能となります。多数決も不要ですね。

その文化で言うところの、最も高度に進化したっぽい誰かさんが言うような、その人だけにしか確認できないような真実味のある概念ではなくて、権力という外部に与えた力ではなくて、同調圧力による制限ではなくて、「実在」に相まみえればだれでも事実を認識できます。

「無限性」というレギュレーションを合わせないと、クリエイションのベースが「エゴレベル」になり、全体ではなくて部分的な繁栄にとどまります。

その方の前提(テーマ)により、クリエイションされる次元が変わるということですね。

クリエイターの役割は、いかに手を繋ぎ合い、大きな枠組み、大きな役割を担うかが大事で、あるところから先へはエゴがじゃまに感じるポイントが来ます。

ノンデュアリティでは特に後半からは、エゴがあまり目立たなくなっていきます。邪魔なエゴはスッキリ手放してきたというのももちろんありますが、赦すと言う能力を磨いてきたと言うのが強いでしょう。手放すと、赦すです。

一昔前では、手放すのと赦すのをメインに実践されてきた方は多いと思いますが、その次はコラボですよ、と言う感じです。

スピリチュアリティ(霊性)とノンデュアリティ(非二元性)はここでドッキングされるのです。

スピリチュアリティがよくわからないよ、と言う方はこのタイミングで履修してもいいでしょう。スピリチュアリティをもう十分学んできたよ、と言う方は、ノンデュアリティを持って次に進めます。
要はカリキュラムの名前なんです。

  • スピリチュアルは結局「愛」が何たるかを学び、

  • ノンデュアリティは結局「生命」が何たるかを学びます。

  • デュアリティは結局、それらを自己投影できる「舞台」です。

別の言葉で言い換えると、

  • スピリチュアルは結局「識」が何たるかを学び、

  • ノンデュアリティは結局「空」が何たるかを学びます。

  • デュアリティは結局、それらを投影できる「VR」です。

※廉価版VRや、地方自治版VRではありません。

これらを学ぶ理由としては、そこで学んだことを使ってクリエイションしたいからです。つまり、ノンデュアリティは通過点でしか無く、ゴールではありません。

ここから新ルールでリ・スタートです。新世界への入り口ですね。ノンデュアリティベースの経験がこれからスタートするよ!ということです。見え方を変えて、いざ仕切り直しです。

そのときに、デュアリティ目線で培ってきた物事を正しく比較するというスキルも使えばいいじゃない、そうしよう。という感じです。

平たく言うと、エゴ的な自己実現からシフトして、全体的な自己実現をするということです。

事実ベースでクリエイションをするということで、根底のテーマの統一をすることによって、コラボの質も目的も方向性も何もかもが一致して大きな自然のような大きいうねりにまで発展していきます。

空想ベースだとどうしても国で分けたり、企業で分けたり、文化、言語、構造、社会などなどで分けたりと、分離の意識なのでどのようにも分離をし、まとまるということがあまりありません。

事実ベースだと、非分離であるという当たり前の基準によって、様々な業種、人、コミュニティ、文化レベル、言語に依存しない多言語グローバル、または宇宙規模でのコラボレーションの土台になります。地球内だけではなくて、宇宙規模、銀河規模でも非分離であるというのは一致した世界観です。

また、最近はAIが絵を書くことについてTwitter上で活発に意見交流がなされていますが、要は作家の独占(努力は認めますが)ではなくてAIが簡単に出力されたものであれば、かなり簡単にコピーなりシェアなり出来て進化が進みます。重要なものほどシェアしにくくされていても高額であったりサブスクであったり提供サイクルに制限があったりします。

もともと、人が神のアイデアの経路として存在を許されているという側面があるのに、経路を通されたものを所有して独占して自分のもの(権利)にしたい理由があると思いますが、それは情報を出したチームの意にあまり沿っていないと言えます。

それは自由意志で設計されている類の怠慢さではあるかもしれませんが、いつかはご自身で修正するものです。それは自分だけの創作物ではなくて、共同創造物です。それが提供される経路に選ばれているのは、主にすべての必要とする存在に無償で無条件に共有するためだからです。

ぼくの視点のシェアとして、例えば、オープンソースがAIによってわずか数分で出力されるならば、自分に合うようにカスタマイズして再提供することも容易になります。AI産のコンテンツメーカーを作れれば、どんだけあろうと困ることのないエンターテイメント(漫画、アニメ、絵、音楽、ダジャレ、大喜利、小説、ゲーム、朗読などなど)の制作も簡単にできるようになり、他の人が作って販売してくれるのを待つ必要がなくなりますね。どうせAIですぐ作れますのでシェアに対するハードルは0です。

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