ノンデュアリティはここからスタート(用語解説)
さあ、ノンデュアリティはここからスタートします。
まず初めに、ノンデュアリティの自己紹介です。
ノンデュアリティは基本的に意識の在り方のお話です。取り組みの姿勢ともいえます。普段気づかずにすごしているご自身の在り方をわかりやすく言葉に翻訳してくれています。最初はなじみが薄くて良くわからないかもしれませんが、しだいに理解できます。
単に用語の解説をするので、理解しようと努めず、後で興味がわいたときに見返してください。
登場人物のご紹介
この意識のお話の登場意識(人物?)は、ワンネス、デュアリティ、ノンデュアリティの3つです。意識というのは人だけが持つものではなくて、何にでも宿るので登場人物と言うのは変なので登場意識ですね。
ワンネスの意識が大元の意識です。
デュアリティの意識は、ワンネスだけだと争ったり戦ったり出来なかったので、完全に分離して相手と自分の一人二役にして協力できるようにした、ということですね。協力の例(競争/対戦/共闘/取引など等)。
ノンデュアリティの意識は、ワンネスの真逆がノンデュアリティです。「全部が全部自分」というのと「自分がどこにもない」と言うのは対照的ですね。言い換えると、「100%自分」と「100%自分以外」ですね。
難しいので、今はこれだけで十分です。
「リアリティ」というのは現実感覚/体験感覚のことです。経験がとてもリアルに感じられていると言う意味です。
「ノンデュアリティ」というのは、「ノン - デュアルなリアリティ」のことで、二元性の中に生きている体験感覚があまり無い代わりに、非二元性の中に生きている体験感覚があるよという意味です。人間でいえば0歳児から1歳半ぐらいまでの言葉を理解しない間はノンデュアリティに相当します。
「ワンネス」というのは「すべてはひとつである。」という真理のことで、「自分も自分以外もいないよ、全部が自分だよ。」という感覚で存在しているという意味になります。現われのすべてに自動的に自己投影しているということです。人間でいえば、親と自分を区別できない乳幼児期に表れています。
「デュアリティ」というのは、「デュアルなリアリティ」のことで、二元性の中に生きている体験感覚があるよという意味です。人間でいえば、自他を区別し始める3歳程度から死ぬまでです。
「一元」というのは「すべては一つ」のことです。源は一つで、私たち皆で一つの大元、というニュアンスもあります。解説者の理解範囲により、解説の幅があります。
「二元」というのは、良い方と悪い方があるという、一方と他方の二極があるという発想です。
「一元(非二元)」というのは、個人的投影をしないので「全部が自分」という一元ではなくて、単に「非分離の一元」です。その場合の一元は自己を超えたものとして「愛」と「生命」を指します。愛とか生命といった大きな大きな愛に、自分という自己投影をしないよ、ということになります。自己投影をするかしないかが通常の「一元」であるワンネスの意識との違いです。また、二元に対する(相反する)というアプローチをとる必要から、二元のアンチテーゼの役割も担います。平たく言うと、二元性を愛する(否定する)んですね。二元に対する「慈悲の愛」を表現可能です。
ノンデュアリティは意味が2種類あります。非二元とは二元じゃないと言っているだけなのでそれが何元を指しているのかはしゃべる人次第です。なのでここでは基礎の基礎として、二元ではなくて大元は一元だよという立場と、それ以上の次元を紹介します。とりあえずは三元です。ここでは名前しか出しませんが、三元はトリニティと呼んでいます。
次はこちらです。
前はこちらです。