ノンデュアリティの入り口は2つです
ノンデュアリティの入り口は2つです
ノンデュアリティの入り口には、
今ここ
私はいない
という、主に2つの入口があります。
一つ目の入り口は、
1) 「今ここ」というところにシンプルに余計なものを省いて見ていくと、言葉に出来ないただ「これ」があるだけという感覚に気がつくことができます。こちらは瞑想など悟り関連に興味がある人が通ってくる入り口です。
それに対して、2つ目の入り口は、
2)「私はいない」という入口がごく普通の一般的な人のノンデュアリティの入り口です。自分がいるという前提で今まで暮らしていたところからすると、寝耳に水のようなアイデアで、実は自分がいないという「私はいない」というのは一体なんだろうと興味を持つのと、それは実際に経験できるということがノンデュアリティが爆発的にヒットした理由だと思います。
という、
「現代の僧」向け(悟り経由、いまここ)と、
「一般」向け(一瞥体験経由、私はいない)の
ざっくり2パターンがあります。
なので、ノンデュアリティの説明のされ方に二通りがあるということがわかっていないと、あの人が言うのと、この人が言うのとどうマッチさせたらいいのかわからなくなって悩んだりもします。
簡単に言うと、瞑想や悟りに重きを置く先生は「今ここ」を重視して話します。一般経路の方はそもそも瞑想の習慣がないと思いますので、そういう先生から学ぶのは、まずは基礎(瞑想)から学ばなければわからなくなります。
逆に、瞑想を重視せずに一般的な暮らしを重視する場合には、一般受けはいいかもしれませんが、悟りを学びたい現代の僧にとっては簡単すぎます。
両者には、それまで身を置いてきた経験の違いがあり、これから学びたいこと、発信したいことに違いがあるんだとわかると、すんなり理解できます。
バックグラウンドの多様性ですね。
ノンデュアリティは「空」の話です
ノンデュアリティでは基本は「空性」(くうせい)について話されていて、空性を人の暮らしに当てはめた時に、そもそも人というものはいないよ、という「不在性」をピンポイントで説明しているということです。不在性というのは空性の内の一つです。
不在性をわかりやすい言葉にかえると「私はいない」になります。
空性について語る先生は、不在性だけでなく空の持ついろんな「無」という性質=空性について話していくんですけど、
一般人向けにはまずは「自分という何かは意味付けでしょ」と言うのに導こうとして、あなたが言うところの「自分」と言うものに再注目させてくれます。
つまり、あなたが思ってきた自分とは何でしょうか?ということです。
いきなりはわからないと思いますので、それが普通なのでそれでいいです。
後天的な自己イメージをまとうのをやめてそれ以外を欲した人々がいらっしゃるということが分かってもらえれば、今はそれでいいと思います。行きつく先は先天的な空という事実ですね。
一瞥体験とは?
自分の「身体」を自分だと設定する場合、身体があるから自分がいると感じています。
なので、普通は一瞥体験が起こる以前は物理的に捉えてノンデュアリティは一生わかりません。また、スピ系に興味のない人(3次元主体)にとっても同じで一生理解不能な話になります。
そういう時にまずは、自分という定義の制限を取っ払って定義付けを拡張させないと、つまり自分=身体だとする信念体系に揺さぶりをかけなければなりません。
そこであらゆる障害を一旦わきに寄せて、ダイレクトにズビシっと不在性を経験させることが「一瞥体験」という呼び方をされるようになったということです。その経験は魂が決めています。
一瞥体験をした意味とはおそらく、
必須の経験をするために普通の生活を続けてこられて、そのあと、他の現代の僧として学んでこられた方に並ぶように学習期間をパコっと省いたのだろうと思います。
普通に現代の僧のような学びをするとなれば10年か20年かかってしまい寿命がありますので、余計なことをしないでいいようにしていると思います。その魂はもとからすでにその経験をしないでもいい魂だということです。
まとめ
まとめれば、ノンデュアリティの入り口には「一般向け通路」と「現代の僧向け通路」の2通路が用意されているよと言うことです。
遊園地のアトラクションみたいに、整理券通路と並ぶ通路の2通路が合って、
魂が整理券を先に取っておいたからいきなりアトラクションに載せられて心の準備もないまま「あ~れ~」と驚いたというのが一瞥体験(一般向け通路)で、
何時間待ちで並んでその間中熱心に勉学に励んでいざ自分の番になってアトラクションに乗るというのが並ぶ方の通路(現代の僧向け通路)。こちらは全部自分のペースで行けて心の準備も済ませてあるので比較的ショックが少なくてまあまあ楽しめる、みたいなかんじです。
なお、自分が身体だとまだ思い込んでいる間は、身長制限が合ってそもそも列に並べないよ、みたいな。大きくなったらまた来てね。という感じの「身長制限通路」ですね。