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ノンデュアリティ

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ノンデュアリティをまとめています。 以前書いたブログの要約です。読みやすさ重視で書き直しました。元 https://1worldgamephotostock.blogspot.…
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#ワンネス

初めまして、ノンデュアリティって何ですか?

ノンデュアリティって何ですか? ノンデュアリティとは、事実ベースで生きる時代に役立つ『暮らしの知恵』です。 過去から現在へと私たちは空想ベースで生きています。 空想ベースとは、例えば雨が降って最悪と感じたり、泥が足に跳ねて落ち込んだりと言うことに現れます。 それに代わり、事実ベースというのは雨が降っているというのは単に雨が降っているだけなので感情の起伏には特につながらない、ということです。泥がはねたのは車が横を通った時に水たまりがあっただけです。せっかくのおニューの靴が台

ノンデュアリティはここからスタート(用語解説)

さあ、ノンデュアリティはここからスタートします。 まず初めに、ノンデュアリティの自己紹介です。 ノンデュアリティは基本的に意識の在り方のお話です。取り組みの姿勢ともいえます。普段気づかずにすごしているご自身の在り方をわかりやすく言葉に翻訳してくれています。最初はなじみが薄くて良くわからないかもしれませんが、しだいに理解できます。 単に用語の解説をするので、理解しようと努めず、後で興味がわいたときに見返してください。 登場人物のご紹介 この意識のお話の登場意識(人物?

ノンデュアリティはダイレクトパスです

ノンデュアリティはダイレクトパスです。直接経験するという意味です。 感動することや感謝することと同じく、内面で直接経験できる類のものです。じっくり思考して獲得できる知識ではないので、難しく考えないでください。 感謝したり感動したりすることが可能なら、ノンデュアリティも必ずわかります。 ノンデュアリティは、日常のど真ん中にありすぎて灯台元暗しになっている出来事です。 いつもその中にいるので、どれがそれかわかっていないだけです。なので安心していてください。 また、ダイレ

ノンデュアリティでほっとひと息

今思考で掴んでいるものを、『パッ』と手放して、楽に緩んで、体に意識を向けてみます。 いかに文章に読み入って体が緊張状態にあるかを知ることが大事です。 体がこわばって硬直しているので、それを毎回やめてみます。すぐ緩めます。何度も試してみましょう。 お勉強はただの思考活動なので、それそのもの(リアル)では無いです。 いくらお勉強したとしてもどうしたって絵に描いた餅なので、ほどほどにしかエネルギーをかけない方が身のためだと思います。 お勉強は知識の地図(ロードマップ)です。

人間性から非人間性へ

「人間性 = 二元性 = デュアリティ」と、 「非人間性 = 非二元性 = ノンデュアリティ」です。 いきなり難しそうな言葉が出ましたが、こういうことです。 「二元(にげん)」は「人間(に ん げん)」のことで 「非二元(ひにげん)」は「人間性からの継承と卒業」が含まれます。 ごくシンプルに言うと、人間性を学んで得た知恵を持ちつつ、さらに一段上の人間性を生きたい時に、古い世代と新しい世代を分けて呼ぶことにしたよ、と言う意味です。要は、人間性 2.0 から人間性 3.0 へ世

ノンデュアリティの先生は2通りです

ノンデュアリティの先生は大きく分けると2パターンです。 どちらの先生もそれぞれ学ぶことが多いです。 簡単に書くと、 ゴール地点からだけ話しているのか、 現在地とゴール地点の両者から話しているのか の違いです。 必ず押さえておきたいポイントは2つです。 ノンデュアリティは、 「先天的な空性についてのお話」だという点が最大の肝です。 「後天的な人間ドラマについてのお話」ではないということです。 先生は2パターン 1. 先天的な空性についての先生 先天的な空性と

自分って何ですか?

何かに夢中になってて気がつくとお昼の時間だったりした時、思い返すと自分という「何か」はいませんでした。 いつも思考しているような自分という存在を突き詰めていっても到達することはなく、結局「よくわからない」と思うだけです。 人は自分について「私」とはこういうものという自由な「肩書き」を持ちますが、実際の所、その肩書き自体もコロコロ変わります。 例えば、3歳の時と、今の自分の視点は変わっていて、思春期の頃や定年退職後の自分のイメージも今と全く同じということではないですね。

ノンデュアリティを分けて捉えよう

ノンデュアリティサイドからの仕組みの解説です。細かい話なので詳細は省いてさらっと読み流しておきましょう。 量子の世界線 今ここという事もできないような極いまのここだけを見た時、それは自動で起こってきています。 「今」のさらに「最先端の今(「今」の「い」と思う「間」のさらに前)」にだけ意識を向けてみると、そこには気づきの「間髪性」しか存在していません。即時性というよりも速く、応答性、即答性、間髪性です。 在るというよりも速く、「あ」というよりも速く、「あ」を言おうとする

ノンデュアリティとデュアリティの違い

ノンデュアリティとデュアリティの違いをまとめると、 ・「事実は全部が自然現象だよ」(ノンデュアリティの立場) ・自然現象に「自由な意味付けをして楽しんでいるよ」(デュアリティの立場) これが基本です。 ノンデュアリティは『事実ベース』 ノンデュアリティが指し示す事実は、個の介在なしに物事がただ単に起きているだけだということです。 その新事実発覚により、出来事に対し個の記憶上にある概念をまったく当てはめられなくなるということです。 その結果、個は全体でありつつ個でも

デュアリティの真の意味

デュアリティのポテンシャルや秘めた可能性、意匠、デザインについて書きます。デュアリティというのはどういった可能性が有るのでしょうか? 自分以外という存在を100%認めた。無限の多様性。全体に調和して、エゴではない良さだけがあふれ出てくる状況。 これがデュアリティの意匠です。ワンネスの意識では難しいことを比較的短時限で履修する機構と読み替えて大丈夫ですね。要はむちゃくちゃ賢いよということです。意識の飛躍を後押しする超ビッグスケールな仕組みですね。 たった2行ではまだよくわか

ノンデュアリティで誰もが通る道筋

ノンデュアリティはみんなが通るテンプレみたいな道筋があります。お決まりのお散歩コースです。それはだいたいこんな感じです。 ノンデュアリティとの出会い。「悟りの一瞥」というのは、単に分離の概念で生きている人が初めて非分離というものに触れてショートしたという感じです。思っていた構成が全く違ったという事実に愕然とするという様です。ルールクラッシュです。既知の価値観が機能しないものだとわかってしまうということです。また、一瞥という洗礼を経ずに徐々に目覚めるのでもいいです。 新ルー

ノンデュアリティ・ルネッサンスとは何ですか?

ノンデュアリティ・ルネッサンスというムーブメントは、「原点回帰」※1 のことでデュアリティの消滅ポイントというか変換ポイントのようなものです。または、ルネッサンスと言うぐらいで夜明けみたいなかんじです。 枠が広くて多方面に及ぶので説明は難しいのと、正解はないです。だけど、知っておけば役立つポイントやエッセンスというものがあるので、それを押さえとこうよ、というお話です。 ※1 言葉通りこれが本当の原点回帰です。原点ぽい「謎地点」に帰るという話ではなくて。原点は「空」または「

ノンデュアリティに疑問がわいたらどうすればいいですか?

ノンデュアリティに疑問を持つ場合、それは「二元 ≠ 非二元」が何を言っているのかわからないんだと思います。まずは下記リンクから読んでください。 上リンクの続きです。 ノンデュアリティのメッセンジャーのメッセージに共振できて、それそのものを生きることに納得した場合にはそれで構いません。全体の流れの中、いるべきところにいられていると思います。「 一元 = 非二元 」という意味です。 しかし、そうじゃない場合もありますね。「三元」という意味です。(三元以降ですね。)その場合は

ノンデュアリティのその後はどうすればいいですか?

クリエイションするときに、分離の意識ベースだと、それぞれ基本的な合意がなくて、各々それぞれにてんでバラバラにクリエイションすることになって不都合があります。かと言って、誰かが決めたルールに賛同するというのはデュアリティの見え方では賛否両論の対立意見があります。 なのでどうするのかと言うと、自分で決めさせるのが一番手っ取り早いです。それをどうするのか、というと『事実』に直面させるということですね。何が事実か分かれば、何が空想か分かるようになります。一番早いです。事実は固定値な