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7次元になるシリーズ

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7-8次元は悟りの次元です。 ノンデュアリティをまとめています。以前書いた記事を書き直しました。元 https://1worldgamephotostock.blogspot.c…
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ノンデュアリティを3行にまとめてみた!

ノンデュアリティーの極意を少ない文でまとめると以下になります。 それは空(くう)についてのことである。(=一元) それは識(しき)から離れるということである。(=非二元) それはワンネスとノンデュアリティーとデュアリティーを混ぜて次のステップに進むことである。(=三元) その他 補足チャネリング情報 ノンデュアリティって本来すごく簡単なこと。 ワンネスでは全部が「自分」で、 デュアリティでは「自分」と「自分じゃ無いもの」で、 ノンデュアリティでは全部が「自分じゃ

誰かのガイドになる方法【7次元になる】

今回はスピリチュアルではおなじみのガイドについてです。その中でも 自分が受け取るタイプのガイドについて、じゃなくて、 自分を与えるタイプのガイドについて、のまとめ記事です。 自分の霊性があるところまで進歩すると視野が広がり、次にその広げた視野で誰かのガイドをするという役割をになうことが出来ます。その方法についてです。それについて今わかっていることを全部書きます。 今もそうですが、ぼくはずっと誰かしらのガイドをさせていただいていて生き甲斐になっています。ライフワークです

ノンデュアリティを理解したのになぜ幸せを求めるのですか?(否定感無し)

あるがまま、ただあるように在るだけだというのに、なぜまだその事実を否定して幸せなるものを求め続けるというのでしょうか? 否定感なしで説明してみます。 それは、まだ何かできると思うからです。 または、幸せである方が気持ちがいいと感じているからです。 それはそうです。確かにそうです。全く否定できません。 しかし、だからと言い、それを今求める理由にしていない、ということも知るといいと思います。 手を伸ばせば届く範囲にあるのであれば手を伸ばして機会を得ることは普通で、手を伸ば

なぜ、ノンデュアリティで悩みが消えるの?2

1ページ目からの続きです。 理由3 自分軸に立てる ある時、いろいろな情報に対する不信感が大きく膨らんだ時期がありました。 誰かの何かのサングラスを通して歪んだような情報を、また自分のサングラスを通して受け取って歪まして悩んでいる。そんなことに意義を感じなくなりました。 なのでそこから先は、瞑想のときには「ありとあらゆるすべての仲介者を手放します」と常に思ってきたので、今はデフォルト設定であらゆる仲介業者は不要になっています。 自分とソースは別物ではないというところ

自己の不在性とは?

空の聖質の内の一つに不在性というものがあります。 チャネリング「不在性という物があるおかげで存在できる!」 昔書いた別記事なので、短いポイントだけを抜粋して引用しましたが、サラッと目を通しておくといいかもしれません。ちょっと変なところとかもありますが許容範囲です。 リンク: ワンネス と デュアリティ と ノンデュアリティ の関係性 自己が無いという見え方 存在は在る、認められるますが、それに「自己」というなにかをくっつけられません。投影できません。 自己とかエゴ

すべて手放すのか?少し残すのか?

脱皮をする。エゴ的な全てを諦めること、最後の最後まであきらめることができたのかどうか? 中途半端なあきらめ方ではまだ時間がかかる、さっさと覚悟を決めた方が良い。 個人的な都合(エゴ)を一旦全部取り外すと言うこと、一旦ね。 どうせまた後で1からビルドアップできるんだから、一旦全部自分の都合を取り外してみたほうが早い。賢明だしまず大丈夫。 自分の都合(エゴ)は個性なので残すので、後から再ビルド可能。なので一旦全部取り外して、新たなものが入る空間を広げる。というか、それをしない

感覚タイプと思考タイプでは納得の仕方が異なる

思考タイプの人が感覚タイプの人の話に同調できずにフラストレーションが溜まるあの感じ。早くすぱっと要点を言ってくれない。もやっとする感覚。 感覚タイプの人は共感や共鳴に全ぶりしているのであって、なにかを説明しようとして自分の話をしているわけではないという理解。思考タイプの人がその生態に気がついて歩み寄ると、事は自然に解決できる。 感覚タイプの人でも、素のノンデュアリティを理解している人など存在しなくて、単に素のノンデュアリティを体験した後に感じた「概念」談をおすそわけしてい

意味付けが自然と外れている時がある

がんばって意味づけを外そうということよりも、意味づけが自然と外れている時があるからそれに気づいた方が早い。 何かに夢中になってて気がつくとお昼の時間だったりした時、思い返すと自分という何かはいなかった。 その時が意味づけが外れていて、現象として起こっている事に単に意味づけを全くしていない時だからスムーズにことが運んでいた。 後から思い返した時に感じたその感覚のことを、「あぁ、あれが現象と言われている感じだったんだー」とわかる感じ。 意味づけをしてないでスムーズにことが

気づきが「気づき」に気づくこと

1) 「ノンデュアリティとは『空』を指し示すもの」。空と呼ばれているものが何なのかをこれから知ろうとすること。空とは量子場の前にあるもの。量子場が気づき。 2) 「ノンデュアリズムとは、あるがままのリアリティの立場から選択すること。」 3) 「ノンデュアリティムーブメントとは、事実ベースのリアリティに参加することを表明したということ。」 ※1 解説) 「空=ノーシング=名前のないもの=なんでもないもの」を指し示す手がかり/アプローチ/学習要件のことをノンデュアリティと言う。

リポーターの例えとは? A.『順次展開』

リポーターの例えでは、どれが真理かではない。順次展開。これは、テレビでVTRを流した後、スタジオに戻してタレントにそのVTRの感想を聞くときに、VTRのはじめから丁寧に一つ一つの場面を区切って話してもらうかのような有様。誰々さんにどの場面のコメントを言ってほしいかのカンペを出しているという感じ。 キッチンカーに行列ができていて、並ぶお客さんにリポーターがお話を伺うという場面では、ある出来事(現象)に対する様々な立場の違いから見えたもの経験の違いがあって、それを番組としてひとつ

虚無を回避する方法と虚無の解決方法

ノンデュアリティを学び始めると虚無になる場合がある。その仕組みと解決方法があるのでそれをシェアします。 「私はいない」にまつわる悩み 分離の意識、教えられたことに納得するエゴの意識上では、自分にできることというのはなにかすごいこと、使命、役割みたいなだれかに任命されるようなこととか、誰かがしていて羨ましく感じることを自分もしてみようとしてそれができないと落ち込むという、こういったトラウマがある。 それらはすべてエゴ特有の空想ベースの範囲内でのおままごとの話だという感じ。実際

デュアリティの構造

次に、デュアリティの構造を解説していく。 『リアリティーを新たな切り口から経験してみたいので、「条件」というツールを使ってみたい!』 現実の見え方を決める方法として、(分離の口実として、捉え方として、切り口として)必要になるのが『条件』。 もし、条件が一個もなければ、分離のしようがないので一つの世界観で見る。それは無条件である「全てはすべて/私」。 ここからの章ではデュアリティというものが何なのかを紐解く。 分離するための手順の獲得方法 自分が持っている条件リストのチェック

既知ではなく未知のソースにアクセスする方法

それと、基本的に既知の情報にアクセスするというのよりも、未知の情報にアクセスしていきたいと常日頃から思っているので、前例のない情報に出会う方法というか、やり方があってそれも紹介する。 未知のソースは「空=闇」 「空」というのが未知のソースなので、空にアクセスする。 空は闇で表されるとすれば、愛が光で表される。真っ暗闇に波紋が重なり点が現れる、それを光と呼んでいるけど、光=愛のこと。つまり、顕現されたすべては愛なんだけれど、見た目は光として捉えるということ。今は根源的なレベ

ハイアーセルフに直接尋ねる情報精査の方法

ぼく個人的な情報精査の方法をここに載せる。いろいろな道を通ったと思うが今は「ハイアーセルフに直接尋ねる」方法がベストだと感じている。 頭の右斜め上(右肩の上の方)に焦点をあわせると、「ハイアーセルフ」の顔(というか表情?雰囲気みたいな感じ)を見て判断の参考にしている。(要はいつも顔色をうかがっている(笑)) ニコニコ微笑んでいる(OKの意味)とか、 頭を横に振っている(やめとこの意味)とか、 頭をぶんぶん縦に振っている(GO!の意味)とか、 どっちつかずなあいまいな表