二燭光社「燭光 第二号」感想文

これは文学フリマ東京2023秋の戦利品「燭光 第二号」についての感想文だ。
特集内容は「In the room」ということで、部屋の中をテーマにした小説が4本掲載されている。
今回はその4本についてざっくりとした感想文を書いていく。

なお小説以外にタイBLドラマに寄せた短歌とルソー『学問芸術論』の論文が乗っていたが、どちらも守備範囲外なので今回は無視することにした。特に何も言えないからね。

全体として

各作品の前に、全体通して面白いなと思ったことがあるのだが、どの作品も「部屋」を考えるときに必ず「屋外」の要素を必要としていたことだ。

そもそも部屋というのは建築物の中の1パーツなわけだが、4編とも部屋は部屋として完結したものと捉えている。
多分僕がこの題材で何か小説を書こうとしたら、「家と部屋」や、もっと捻って「部屋と通路」とかで書くような気がする。
逆に屋外の要素についてはあまり導入しなさそうだ。

ここ結構部屋に対する感覚が違うので何が原因なんだろうと思ったのだが、仮説として作家がみんな「マンション・アパート暮らしをしている」からなのではないかと考えた。実際2編はアパートの一室を舞台としているし。

僕は生まれてこの方実家の一軒家に住んでいてほかの場所で暮らしたことがない。そのこどおじ的生活に対する是非は一旦おいておくとして、そうした「一軒家暮らし」の人間はあまり部屋と家がイコールの存在にならないような気がする。

だがマンション・アパート暮らしの人は、「部屋」から一歩出ればすぐに「屋外」になるから、そこが対比対象になりやすいのかなと思った。

工藤みやび「禁煙車だけど乗ってけば」

この作品が一番この本の中では複雑な作品だ。一行で○○な話、と書くのも結構憚られるのだが、まとめるとしたら不器用な会社員のコミュニケーションの話、だろうか。
恋愛というとものすごく野暮になってしまう、とはいえ会社の先輩後輩としては気持ち悪いほどに親密な関係性を描くのがとてもうまい作品だった。

この作品ではタバコミュニケーションを中心に、「喫煙所」、「車の中」、「屋外」という三つの空間が使われている。

まず「喫煙所」と「車の中」。これはどちらも主人公にとってのタバコミュニケーションの場であり、物語の開始時点では好きな先輩との接点を持つために必要な場であった。

けれど先輩が喘息持ちだったことを知り、タバコミュニケーションを必要とする会社の体質を批判して、喫煙所から先輩を脱出させ車内を禁煙にすることに成功した。ついでに車内ではタバコを介さずに会話ができるようになったことで心の距離も縮まってめでたしめでたし、という話である。

面白いのは、この批判が「酒の席で」かつ「屋外で」行われたことだ。
主人公は別にタバコミュニケーションが悪だと言いたかったわけではない。むしろめちゃくちゃ自分の欲望のためにタバコミュニケーションを批判している。つまり「先輩の健康を気遣うこと」と「タバコなしでも交流を持てるようになること」という二つの欲望を叶えるためだけに「喫煙所」の外へ=部屋の外への誘導を行った。

タバコミュニケーションが批判されるのであれば飲みにケーションも批判されてしかるべきだし、そもそもタバコミュニケーションによって先輩に近づいたことは紛れもない事実である。ついでに言うなら飲みの場に至ることができたのはタバコミュニケーションがあったからだ。

つまり主人公はものすごく利己的に「部屋」の密室性による人間関係の構築と、「屋外」の公共性による批判を使い分けていたことがわかる。そしてその中間に位置する「車の中」という部屋でもあり屋外でもある空間で居心地のいい関係性を手に入れることに成功した。

部屋の中であって中ではない、最も都合の良い場所を見つけ出してそれを人間関係に絡めて描いたのは本当にすごいと思う。
またこの先輩後輩の名状しがたい関係性を描き切っていることも含めて、とてもいい作品だと思う。

名槻はつか「種を蒔く音」

主人公が、叔父の引っ越しを機にかつてよく遊びに行っていた叔父のアパートを訪れる話。
とにかく空気感が最高で、雨の中のなんとなく気まずくてなんとなく懐かしいあの雰囲気や温度を文章で描いているのが素晴らしい。

また「部屋の中」というテーマに対して、最も鮮やかなアプローチをしているのもこの作品だと思う。

叔父の住むアパートがこの作品の「部屋」だが、これは明確に内と外の対比がなされている。アパートの内側は子供のころの主人公が預けられていたその時の風景とあまり変わらない。逆に外には新しいマンションが立ち、まるきり風景が変わってしまっている。

その中間にあるのが窓とベランダとプランターだ。

室内の風景は変わらないままだが、窓から差し込む光は新しくできたマンションによって遮られてしまっている。ベランダにはかつて無数にプランターが敷き詰められ家庭菜園が行われていたが、それらは今や片付けられてしまった。
室内にいて唯一目に見えて変化してしまった部分というのが、どれも部屋の内と外のどちらにも属さない要素によるものだというところが非常にうまいなと思う。

部屋の内外の対比、と前述したがここは対比ではなくグラデーションのほうが正しいだろう。このグラデーションによって「部屋の中」を描くアプローチが本当に面白いと感じた。

あわち「証言者」

ある建築会社で起きた盗難事件を追う監査官のミステリー。
これは正直なところ、ミステリとしてもテーマに対するアプローチとしても、もう少し頑張れたんじゃないかと思ってしまった。

まずミステリ部分。別に僕はミステリに明るいわけでもないし謎解きとかに凝るタイプでもないのだが、ちょっと状況にリアリティが感じられなかった。

事件のミスリードとなる人物が事件当夜に「上司に言われたから倉庫を見張っていた」という状況、まず一回読んで意味が分からなかった。さらにその理由が「副店長が建材を盗んで自分を貶めようとしている、と店長が考えた」から。

要するに「副店長は地位のために犯罪行為を自分の手で行おうとしていた」という店長のやばめの妄想がミスリードの起点になっていて、さすがにそんなことはないだろう、と読んでいて突っ込んでしまった。しかもそのおかげで犯人が絞れてしまうのだから、さすがに状況設定がよろしくないのではと思ってしまった。

他にも上層部の思惑や犯行動機についても事前の伏線などが少ないので、全体的にトリックと人間の情緒がリンクするように作れていればもっと面白い作品になったのではないかなと思う。

ただ僕自身は全くミステリを書く素養がないので、ミステリに挑戦しようとしたことだけでも称賛したい。
ぜひこのあわち氏にはミステリの腕を磨いていってほしい。

ただ「部屋」へのアプローチはいただけない。
はじめこの作品での「部屋」は取調室のことを指しているのかと思っていた。会議室を臨時で使用しているとはいえ、個室での証言を基にしているわけだから。

しかし最後の最後に監査室という部署とリンクした部屋が登場し、監査という立場でありながら会社のために違法行為を唆したことがわかる。
部署=部屋=個人、という図式を描きたいのだろうが、それにしては監査室に関する描写が少なすぎて比重が置かれていない。

個人的にはこの話をするのであれば、芥川龍之介の『藪の中』のようにして、取調室(あるいは監査室)で行われた取調べの様子のみを描く方式にするか、あるいは「事件は会議室で起きているんだ」というような会議室のなかで当事者不在のまま事件解決と会社の闇を描くような構成が取れたらテーマにも沿ったより面白い作品が書けたのではないかと思った。

諸津江「部屋」

一番ド直球な部屋の話。一人暮らしの主人公が、友人とともに自分の部屋を片付けてだべる会話劇系雰囲気作品。
かなりこの雰囲気や掛け合いは好きだった。

面白いのは全て部屋の中で完結しているのに、冒頭が「温い風、湿った土の匂いと草いきれ、花の中、背中が少し濡れている」と明らかに屋外の描写からスタートすることだ。
これは夢の話なので現実の花畑ではないのだが、部屋の中に屋外を出現させている。

さらに片付けを手伝いに来た友人はブーケを持ってきて、部屋に花を飾る。また片付けが終わって家飲みをしながら主人公はボールペンで花畑の絵を描く。このようにこの作品では部屋の中に屋外を出現させる方法を模索している。対比ではないが、この部屋は屋外を必要としていたわけだ。

さて、とはいえ作品として言いたいこともある。僕はこの作品には登場人物の顔がもっとあっていいと思った。個人的な好みかもしれないが。

例えば、まず友人はSとされているが、別に名前を付けてよかっただろう。主人公もだ。
それから小物類。主人公が持っているCDはどのアーティストのものなのか、好きなフレーズや描線は誰のものなのか、友人Sの持ってきた花は何なのか。捨てられたものと残されたものは何なのか。

それらの具体性によってさらに、部屋の中には本来ない屋外性が描き出せるのではないかなと思ったりした。まあ、安易な百合やBLを拒絶した結果なのかもしれないが。

とはいえ面白く読みやすい作品ではあったので、次回はもっと新しい作品を出してほしい。

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