マイルス・デイヴィス クールの誕生

ジャズ界隈では話題の? マイルス・デイヴィス クールの誕生と言うドキュメンタリー映画を見てきました。 ある程度は、知っている内容があったりしたので本人による当時のコメントなどがあり良かった。

マイルスと言うと、ジャズの世界ではチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの二人に次ぐ人物だと思ってます。なぜなら、ビバップからジャズを次のステージへ進化させた人物であるからです。ビバップは、騒がしく騒々しいと言う人もいるほど聴きづらいものだったりするのである。それを大衆にも分かるような音楽へと変えたという所でしょうか。

内容はマイルスの生い立ちから始まりチャーリー・パーカーとの出会い中盤はクールの誕生やマラソンセッションの話そしてカインド・オブ・ブルーそれからコルトレーンがマイルス・バンドから離れ黄金のクインテットへと移り終盤はエレクトリックに行った話という流れでしたね。

マイルスの育った家庭では父と母がよく喧嘩しており暴力沙汰も耐えなかったとか、少年時代のマイルスに深く影響を与え何人かの女性パートナーへの暴行へと繋がっていたのでしょう。子供の頃の影響は、大人になってからも抜けきらないと言うことがよくわかりますね。また、薬欲しさにお金を借りるなどもあったとか。まぁ、これはチャーリー・パーカーでも似たようなことがあったのでジャズ界ではよくあることと知ってる人は感じるでしょう。コカインなどの薬物が万延していてほとんどの著名な奏者は誰しもが一度はドラッグに溺れた時がありますね。 なぜ、そういった方向に行ったかというとステージに毎日立ち心身ともにすり減らして行けばその苦しさから逃れる為にという手段です。ジャズの即効演奏とは譜面に書かれているものを演奏するのではなく、コードに基づきその場で組み立てる演奏手段なのです。求められるのは、昨日と同じ演奏ではなく違うものである必要があるのですからそれを生み出すには相当の苦労があります。

さて、60年代以降アメリカのミュージックチャートにはイギリスよりもたらされたロックで埋め尽くされるようになった。多くのジャズマンはヨーロッパでの活動に移ったがマイルスは新しいエレクトリック楽器を取り入れ今までのモダンジャズと呼ばれるものとは別のものに変わって行きました。過去は、振り返らない人物なので目新しいものを生み出しフュージョンというジャンルの発生にあたります。ちなみに、私には70年代からのマイルスについては理解できない音楽になってるので聴いておりません。

そして1990年代初頭にマイルスはこの世をさりました。サンタナが出たりしてますが、ロックの有名な人達にとってもマイルスの悲報は大きなものとなったようです。 多くのジャズミュージシャンは40~50代で亡くなっていたり30代の人もいますがマイルスは長い時代を生き抜いた一人ではないでしょうか。生涯音楽と共に歩み続けたマイルスは、ある意味では音楽から解放されたとも言えるのではないでしょうか。頭の中で四六時中鳴っていたという言葉があったのでそう思わざる終えません。

ジャズとは、抑圧された黒人の音楽が元ですが黒人だけではなくあらゆる人種のそういったものを受け入れる要素があると思います。なんたるかを語れるようではないですが、この音楽だけは、内に埋めるものを吐き出せるような気がします。


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