Geminiの過剰演出から学ぶ〜技術ブランディングの原則
Googleから発表されたマルチモーダル生成AI「Gemini」について、デモ動画の過剰演出が指摘されています。
OpenAIに対する焦りが過剰演出につながったと評するのは簡単ですが、それは問題の表層に過ぎません。より深層には、Googleだけでなく、あらゆるテック企業に共通する「技術ブランディング」の本質的な課題がありそうです。良い機会なので、教訓として整理しておきます。
Geminiの演出疑惑
まず、Bloombergの記者がGeminiのデモ動画に違和感を感じ、Googleの広報担当者に話を聞いたところ、動画はリアルタイムで録画されたものではないことが判明しました。どうやら、大幅な編集と演出が行われていたようです。
そして、TechCrunchの記者も「フェイク動画」という強い言葉を使って批判し、日本ではNewsPicksからも記事が出ました。デモ動画と開発ブログの間の差異を指摘しています。(ちなみに、NewsPicksの私のコメントに対する反響が大きく、ニーズがありそうだったので、今回のnoteを書きました)
また、デモ動画以外にも、GeminiとOpenAI GPT-4の比較において、GPT-4に不利な条件での実験結果を取り上げて、Geminiの優位性を宣伝しています。こちらは、技術レポートの解説記事でも指摘しています。
Geminiのブランディング失敗
この事態は、Geminiの技術ブランディングの失敗と言えるでしょう。技術的な真相はさておき、「信頼されること」が大事であるブランディングにおいて、各種メディアから疑いの目が向けられており、ブランディングの一歩目で足を踏み外しました。
なぜ、技術ブランディングで失敗したのでしょう?
GoogleのOpenAIに対する焦りが、過剰な演出につながったのでしょうか。直感的には正しい解釈に思えますが、より本質的な原因を探ってみます。
状況を分かりやすく整理すると、「ビジネス向け要約」と「技術の詳細」の間に食い違いがあることで、疑惑が深まっています。
もちろん、単純に、ビジネスの要約か技術の詳細のどちらか一方を公表すれば良かったというわけではありません。
技術ブランディングの組織力学
なぜ、このような二重構造になり、食い違いが起きたのでしょう?
本質的な原因は、ビジネス側と技術側の対立の力学にあると考えています。
ビジネス側:ユーザーを惹きつけるため、ギリギリ嘘のない範囲で、誇張したい
技術側:技術と真摯に向き合い、誤解を生まないように、正確に伝えたい
それぞれの立場による対立は、本来悪いものではありません。ビジネス側と技術側の意図は異なって当然であり、その綱引きのバランスがプロダクトを成長させます。そのバランスを取るのが、プロダクト単位ではプロダクトマネージャーであり、企業単位ではCEOです。
今回のGeminiの件は、GoogleのマーケティングとDeepMindの研究者の間で十分な議論がされていない、または、Googleのマーケティングが押し切る形で、デモ動画やランディングページが公開されたと推察されます。デモ動画のYouTubeアカウントが、DeepMindではなくGoogleであることから、主導権はGoogleにあるようです。この場合、バランスを取る責任者は、組織を横断するCEOであり、Google CEOのスンダー・ピチャイ氏が適切なリーダーシップを発揮できなかったのかもしれません。また、元DeepMind CEOかつ研究者であるデミス・ハサビス氏は、Googleに経営統合されて間もないこともあり、舵取りをしづらい歯がゆい状況に置かれていそうです。(あくまで推察ですが)
ちなみに、プロダクト・マネージメント・トライアングルでは、技術 (Developers)、ビジネス (The Business) 、ユーザー (Users) の3者のつながりでバランスを取る重要性が説かれています。そして、技術とビジネスの間をつなぐカギが、ビジョン (Business Vision)だとされます。
GoogleのビジョンとDeepMindのビジョンの微妙な違いが、組織間の大きな差を生んでいるかもしれません。一方、OpenAIは、技術とビジネスの間をつなぐビジョンが明確に共有され、CEOのサム・アルトマン氏が常に発信していることが、技術ブランディングに好影響を与えていそうです。(余談ですが、OpenAIのお家騒動で社員が団結したのも、ビジョンの力かもしれません)
ちなみに、技術ブランディングにおいて、ビジネス側と技術側の大きな隔たりは、Googleに限った話ではありません。個人としても、さまざまな企業で経験したり耳にしてきました。例えば、ビジネス側の過剰なPR文を技術的に正確にするために修正したり、逆に、技術側の難解なドキュメントにビジネス的な付加価値を加えたり、ということは日常的に行われます。技術に関わる人には「あるある体験」でしょう。
なぜ、ビジネス側(特にマーケティング)が、技術的な真相から離れて、誇張しがちなのでしょう?
それは、多くの人々が「正確な統計データ」よりも「刺激的なストーリー」を好むような認知バイアスを持っているからです。マーケティングでは、人間の認知バイアスの仕組みをうまく活用して、ユーザーを熱狂させることが良しとされ、理に適っています。しかし、それが行き過ぎると、デモ動画の過剰演出などにつながります。だからこそ、ビジネス側と技術側の綱引きで、適切なバランスを取ることが大事なのです。
技術ブランディングの原則
さて、現場における技術ブランディングの力学を知った上で、大事なことは原理・原則に立ち戻ることです。
技術ブランディングは、大きな意味でブランディングの一種です。そのブランディングの原則として参考になるのが、デビット・アーカー氏の名著「ブランディング論ー無形の差別化を作る20の基本原則」です。
20の基本原則は、書籍の章立に対応しています。
今回のような技術ブランディングに大きく関わるのは、「第8章 イノベーションをブランド化する」と「第20章 ブランド構築を妨害する組織内サイロ」だと思います。
20章の組織内サイロは、先ほど述べたビジネス側と技術側の大きな隔たりを生む要因です。Googleは大企業病が進んで、組織のサイロ化による宿命から逃れられなかったとも解釈できます。関係者が増えると、考え方も多様になり、調整も難しくなるものです。一方で、OpenAIはベンチャー企業として、組織のサイロ化が進んでいないからこそ、統合的な技術ブランディングがしやすいのでしょう。
また、8章では、イノベーションをブランド化する価値が改めて強調されています。
これを今回のケースに当てはめてみます。例えば、OpenAIは
GPT (Generative Pre-trained Transformer: 事前学習済みの生成型トランスフォーマー) という一般的な技術を「自社のもの」とし、
ChatGPTの利用を通じて「信頼性を向上」させたことで、
GPTはトップランナーだと認識されることで「中身を伝えることを楽にする」ことに成功しました。
一方で、Googleは
「イノベーションを自社のものとする」ためにDeepMind社を経営統合したものの、
「信頼性を向上」する真摯な発信をせず、過剰な演出をしたことで、
技術レポートを読み解かないと真相が分からず、「中身を伝えることを楽にする」ことに失敗しました。
3つの要素の内、1つでも欠けるとブランド化の価値を発揮できないという、良い教訓になります。当たり前のことを言っているようですが、当たり前のことを着実にやるのが原理・原則だと思います。
では、Googleがブランディングの原則に立ち戻り、今後取るべき戦術は何でしょう?
例えば、一般向けチャットサービスBardの利用を通じて、「信頼性の向上」に徹することです。より具体的には、有料のGPT-4に対して、最高性能のGemini Ultraを一時的に無料で解放することで、多くのユーザーに再考を促するのも一手でしょう。(私ならそうします)
さいごに
良い技術を開発しても、ブランディングに失敗すると不当な評価が下されます。だからこそ、ビジネス側も技術側も、しっかりとブランディングの原則を学ぶことが大事です。今回は簡単な紹介に留めましたが、先ほどの書籍から学ぶことは多いです。
Geminiは、技術レポートを読む限り、現時点のGPT-4を圧倒しうる素晴らしい技術だと考えています。にも関わらず、このような形で疑惑の目が向けられたのは残念でなりません。
今後、OpenAIとGoogle DeepMindが切磋琢磨して、GPTとGeminiの性能の競い合いが始まるでしょう。そこで技術に真摯に向き合い、フェアな戦いを挑んだのがGeminiの技術レポートです。ぜひ深く読み解いて、生成AIの進化を観戦しましょう。