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Axis:Bold As Love/The Jimi Hendrix Experience-音の効能-Little Wing

先日ギターをリペアに出して調整してもらった。

ここ数年、色々あってギターを触れずにいたのだけれど、少し生活が落ち着いてきてまた触りたくなったのだ。
ギター、たいして弾けないのに、何年も触れなかったのに、落ち着いてきたとはいえそんなに時間も無いのに、なぜまた触りたくなるのだろう…と改めて素朴な疑問を感じた。
一般的に見れば、完全に無駄な行為と言われるのではないか。

そして、それなりの頻度でプロのミュージシャンの演奏を耳にしていると、それだけでもう半端に楽器を触る気など失せてくるといったところもある。
けれど、そういったものとは別次元で、「ただ触りたい!」というシンプルな欲求がこんこんと湧いてくるのだから仕方ない。

私にとってギターやベースというのは癒しのようなものでもあり、存在と音色だけで芸術品でもあり、触発されるものであり、音楽と向き合うツールのひとつでもあり…でもそういった理由付けはともかく、とにかく触っていたら幸せなのだと気付いた。

以前に書いたように父親は家にいる時はほぼいつもギターを弾いていた人だったが、そこから興味を持ったという感じは自覚としてはあまりなく、自覚的にギターに強く惹かれるきっかけとなったのはなんといってもJimi Hendrixだった。

なかでもLittle Wingと出会っていなければ私はギターを触りたいと思う事はなかったのではないかと思う。
この1曲にギターという楽器の魅力が詰まっている。
超定番曲ながら、何度聴いても飽きない。
10代の頃出会ったこの曲がきっかけとなり、その流れでデルタブルースだとかまで掘り起こして聴く事になったのだった。

音楽全般、良い音の効能って相当多岐に渡ると実感する。
感性をフルに稼働させて全身の細胞で自分が良いと感じる音を聴いているのは、生きている中でも相当良質な体験に違いなく、無自覚な副産物も沢山得ているはずだ。
音楽に限らず、芸術全般に関して無駄とか無駄ではないとかいう物差し自体がそもそも無意味でもある。
とかく物事は表面的に観測可能な実用性だけでは測り知れない。

そういうわけで、歌に比べるとたいして時間を割くわけでは無いし、そもそもさほど時間も無い中で弦楽器までやってどうするんだ、という葛藤も越えて、改めて少しずつでも丁寧にじっくりとギターやベースとも細く長く向き合ってゆきたいと感じている。
例えるなら宗教の礼拝のように無心に無目的に、音を享受してゆけたら良いな、幸せだな、と思っている。
きっとまた、思いもよらぬ効能に出会う事だろう。
今まで出会ってきたように。













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