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これを恋と呼ばずになんと呼ぶ!

もう、こんなに何日も引きずるなんて
自分が1番驚いている。

もう笑えるレベルで、彼のこと、彼らのことで頭がいっぱいになっている。


BUMP OF CHICKENの形が今までと変わってしまっても、世の中のたいていのことは何も変わらない。
ネットのニュースやワイドショーを怖がっていた週末は、とっくにすぎて、不倫や活動休止なんて言葉はどこにも現れずキラキラした俳優さんやアーティストのエンタメ情報が流れている。

実は夢だったのかな。大好きなBUMP OF CHICKENのチャマが不倫してたことも、事細かに2人のやり取りがネット中に拡散されたことも、活動休止になったことも、残ったメンバー3人があんなふうに苦しそうにラジオで謝罪したことも。
全部嘘で、実はあの4人は何も変わってないんじゃないのかな。昔の曲や映像を見ている限り、現実を見なくていいし、きっと何も変わらないんじゃないかって思える。
新曲のアカシアだって、あまりにも普通に楽しく聞いている。あの曲は時期的にも4人で作った音だと思ってるし、ベースはきっと彼が弾いていると信じていたい。だから、今まで通りには聞けるのかな。

どんな形でも、彼らの活動を音楽を応援したいし、好きでいたい。それは何も変わらない。変わらないはずなんだけどな。

日が少しずつ短くなって、仕事から帰る頃にはあたりは薄暗い。秋が始まる涼しい夕方の空気の中、金木犀の香りが鼻をかすめた。
いい匂い。
チャマの姿が頭をよぎる。
あれ、なんでだっけ。
黄色い小さい花と陽射しに透ける金色の髪。
そうだ、これは彼が好きだと言った香りだ。去年のTwitterには花の写真がのっていた。

母は昔から金木犀が好きで、家を持ったら庭に植えたいとずっと思っていたそうだ。だからうちの庭には大きな金木犀の木がある。今年も満開の花を咲かせた。何本か枝を切り、家の中のあちこちに生けてある。リビングも洗面所も玄関もいい香りが溢れている。
「この匂い、BUMPの人も好きなんだって…」
そう母に話し始めて、なんだか恥ずかしいのか泣きそうなのか、喉の奥が詰まっていく自分に驚いた。

あれ、私、何、失恋した子みたいになってるんだ!?
と心の中でツッコミを入れて笑い飛ばそうと思った。思ったのに、失恋というワードが心の中で引っかかって外れない。

失恋…?

今まで私は大きな失恋というものを経験したことがない。自分から別れを決めたり、一方的に押され一方的に飽きられたことはあったが、失恋というものとはちょっと違うような。だから、正確な失恋の感情がわからない。aikoの失恋ソングは長年聞き続けているが、曲に出てくる“あたし”の辛さはいくら想像できても、やはり実感がない。

彼が好きだったものを思い出して、切なくなってしまう、この気持ちが失恋?

いやいや、失恋ってことは、それまでが恋だったってこと!?

また私は驚いた。

好きな気持ちを認めることよりも、好きじゃないと思ったり嫌いなところを見つける方が、ずっとずっと楽だ。だって自分が傷つかないで済むから。
身近な人に嘘をつかれすぎて、信じて裏切られた時の悲しみや怒りを感じないようにすることが得意になった。自分が傷つかないように、用心して、それでも1人は寂しいから近づこうとして、でも怖いから好きにならないようにして。辛くても傷ついてもいいから好きでいたい!なんて思えるほど強くない。
出会いがないってことも、もちろんあるけど、漠然と「私は誰かを好きになれるのかな」って不安がいつもついて回った。
それにそもそも「好き」とはなんぞや?みたいな疑問にたどり着いてしまう。

でもこんなことで「好き」に気がつけるなんて。

香り1つでその人を思い出し、音1つに釘付けになって、似たスニーカーを探してみたり、ベース教室を探してみたり、その人の笑顔で元気が出たり。
もともと音楽を聞くのは好きだったけど、楽器には興味がなくてギターとベースの違いも分からなかった。でもBUMPを好きになって、チャマのベースの音をどうにか聞きたくて耳を澄ませた。彼の指先を追いながら、やっと見つけたベースの音にどうしようもないほどドキドキした。重低音がよく聞こえるスピーカーにイヤホン、必死に彼の音を追いかけた。
そうしているうちに、私もベースを弾いてみたいと思うようになった。音符なんて全然読めないしリズム感だって全然ない。
それでもベースの触り心地や指先の感覚、あの低音を自分で知りたくなった。
私の住んでいる近くにはベース教室もないし、コロナのせいで習い事も出来ない状況だけど、いつかあの楽器を触ってみたいと思い続けている。

ステージ上ではいつも楽しそうで、こっちまで嬉しくなる。あんなに楽しそうにできる人がいるんだなって。
楽しそうに演奏する姿も、メンバーのことが大好きなところも、気使いなところも、笑顔も笑い声も、全部全部、私の心を幸せにしてくれた。

もうこれって好きじゃん。恋だよ。

昔から芸能人の熱愛報道や結婚発表で、ショックを受けたりロスだと言って悲しむ人達のことを、ほんの少しだけバカにしてたところがあった。
「悲しい気持ちはわかるけど、相手はテレビの中の人だよ。自分と恋愛なんて出来るわけない」
なんて、冷ややかな目で見ていたこともあった。

でも、例えテレビの中の人でも、直接会うことはなくても、こんなふうに好きになれる。
いいんだよ。直接恋愛するとかじゃなくて。ただ好きだなーって思って自分が幸せならそれでいいの。

なんだかなあ。
自分自身の気持ちに驚いていた。
会ったことも話したこともない人を、勝手に好きになって、嬉しくて楽しくて。でも1つのニュースでこんなに悲しくなって。
なんだか人間らしい感情の揺れ動きがあって、自分で自分に関心した。
まだまだ、私はちゃんと人を好きになれるし、ちゃんと悲しくもなれるんだなって。
悲しかったのは、チャマが結婚してたからじゃない。そういう失恋じゃなくて、自分が好きになった人が嘘をついて誰かを傷つけていたから。嘘をつく人が1番嫌いなのに。
これが自分の恋人だったら、とことん悲しんで怒って嫌いになればいい。好きな気持ちをやめたり、抑えたり諦めたりする方法は習得しているはずだし、時間が解決してくれることもある。
でも、今回は違っている。
相手はテレビの向こうの人だ。これから先、知り合いになる訳でもなんでもない。ということは、チャマを嫌いにならなくてもいいという選択肢が残されている。
え、難しすぎる…。
だって、不倫が事実なら「こんな男やめてしまえ!」って、自分の見る目のなさにがっくりしながら嫌いになればいいのに、嫌いならなくてもいいってどうしたらいいの?

落ち込んだ気持ちをどこへ持って行ったらいいのか、どう片付けたらいいのか。

こんなに悩めるほど、好きだったんだなって思ってまた自分に笑えた。

好きなものをちゃんと好きだって、自分の気持ちを認めてあげること。自分を大切にする1つの方法。

チャマのこと好きだったよ。

過去形なのは、今の彼の姿が、言葉が見えないから。あんなことがあったから、嫌いになったわけじゃない。応援してる。でも、今までの好きとはちょっと違う気がするんだ。

不倫を肯定するわけじゃない。不倫と一言に括られてしまう関係性にどれだけ複雑な事情が含まれているか知っているつもりだし、肯定も否定も、怒りも許しも、全部当事者がするものだと思っているから。私の大切な友達も、不倫と言われることをしている。友達は、このことを私に打ち明けるとき「もう友達辞めてもいいよ 」と言った。まさか、辞めるわけない。彼女が私と一緒に過ごした時間も、私にかけてくれた言葉も、私に頼ってくれたあの時も、どうでもいいことで笑いあったあの日も、これから2人で歳を重ねたいと思うことも、何も変わらない。

チャマの場合は、ちょっと違うのかもしれない。でもね、好きな人にはちゃんと好きって伝えた方がいいって思うんだ。
こんなに好きだったって気がつくのが、こんなことになってからで、私はいつも色んなことが遅すぎるんだよなってしょんぼりもしたけどさ。
ちゃんと好きだった。
こんな色々な感情を経験させてくれてありがとう。

必ず戻ってきてね。
4人の音楽を待ってる。
そしてあの笑顔に、また恋をさせて欲しい。

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