熱血教師に付き合わされる毎日(躁うつ病持ちの小学生時代-後編-)
どうも、躁うつ病持ちです。今回は私が勉強嫌いになった大きなポイントである、小学生時代の後半を書いていきます。
●転校
小学4年生になるときに今住んでいる家に引っ越しました。この時には人見知りする性格になっていたのと、クラスメイトで雰囲気の合う人がいなかったのもあり、小学4年生のときはそこまで楽しい記憶がありません。
●熱血教師との出会い
小学5年生になり、クラス替え。そして担任の先生も変わました。
この先生が熱血教師でした。
何をするにも全力で、自信に満ち溢れているという感じ。新年度に入って1週間で授業態度について説教が入り「以前担当していたクラスはこんな感じだった!」と、昔の授業風景を録画したビデオを見せられたほどです。
授業形態、運動会、演劇発表会など、様々な面で独自路線を歩み、私たちもそれについていくことになりました。
●毎日勉強を強要される
その中でも苦痛だったのは毎日の自宅学習でした。ただ単純に勉強しろ、というのではありません。学習帳を提出できる曜日を明言し、1日2ページ以上勉強し、提出。担当の学習係が提出状況と内容を確認し、いい内容になっている人を発表する。
提出できなかった人は立たされ、なぜ提出できなかったのか、理由を述べ、次回はどうするのかということを発言しなければいけない。というルールでした。
学習内容は何でもありのため、私は2ページ丸々漢字の書き取りで逃れる日もありました。
ですがこれでもやる気の起きない日はある。しかし、特に理由はありません。やりたくなかったからです。と、言うわけにもいかず……正義感溢れる小学生になんやかんや言われながら席に着く。これを繰り返していました。これが勉強嫌いになった最大の理由だと思います。
●テストで点数は取れていた
漢字の小テスト以外では試験で点数は問題なく取れていました。まあ小学校のテストなんて成績付けのためのアイテムでしかありませんから、普通のことだと思います。ですが私は「自宅学習をしなくても点数取れてるからいいじゃん」と思っていました。これも勉強から逃げる理由の一つでした。
●演劇発表会の練習で異常性に気付く
演劇発表会の練習に入る、というときに風邪で学校を休んだことがありました。もちろん私はモブ役です。
2日程度で風邪は治ったと思います。第1回目の練習には参加できませんでしたので、いきなり2回目の練習から。といってもたった1回やっただけでそこまで影響はないでしょう。と思いました。
自分の番になり、セリフに合わせていつもより大きく動く。はじめてにしては上出来だろう。と思ったのですが、
終わった時、シーンとなりました。
え、私なんかした?と思ったら先生が「風邪で休んでいたから」といって区切りました。で、アドバイスタイム。もっと身体を大きく動かしたほうがいいと。で、その例を見せられたのですが……それがあまりに大きすぎる。もう異常。これを強要するのか?そしてみんなこれに素直に従っているのか?おかしくね?と思いました。
これをきっかけに、担任に対する反抗心のようなものが芽生え、自宅学習なんてしてられるか。と、漢字書き取りでごまかすことがほとんどになりました。
またクラスメイトに対しても、あまり信用できない存在。敵。みたいな見方をするようになり、明るく振舞いつつも内心では攻撃的なことを考えていたりしました。
●良き友人は出来た
唯一の救いとしては、小学5年生の終盤でようやく親友と呼べるレベルの友人が出来たことです。
この友人とは高校進学後に始めた実況動画に参加してもらったり、大学進学後もネトゲで交流したりと関係が続き、今は唯一連絡先を知っている人になります。
小中学時代は平日は毎日のように家にお邪魔してゲームで遊んでもらいました。ほんと、お邪魔しました……
これが一番、勉強嫌い、努力嫌いに影響した時期だと思います。
次回は、この自宅学習から解放される中学時代の記事になります。
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