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Cahier 2020.10.12

揺らぎやすさを感じたり、何か気分が滞ったようなとき、神社仏閣へ行くとすっと気が整う、ということはどうやらあるようだ。

ふと、愛宕神社のあの有名な出世の階段を駆け上がってみたくなって、ヨガで体を伸ばしたあと、夕方からのそのそと出かけて行った。

もうとっくに日は暮れて、愛宕の杜はしんと暗かった。

急こう配の長い階段には外灯ひとつ点いていない。

この坂をひと息で馬に乗って駆け上がったという昔の武将の姿を思い浮かべながら、ひと息に上る。階段の幅も狭く、おまけに雨で濡れているときて、下手に立ち止まって後ろを振り返る方がよっぽど怖い。単純に階段を上るという行為に集中するひととき。それだけでもずいぶん気分がスッとする。

神社やお寺でお参りをするとき、色々な作法があるとも聞くけれど、あまりはっきりと言葉で願い事をしたり祈りを捧げることはなく、感謝のような決意表明のような祈りのような、形のない念のようなものをひと息に込めてエイッと送っておしまい。不躾ですみません、と思いながらも、どこでもずっとこのスタイルでお参りをしている。

無精なので、御朱印帳も持っていない。

ふと思い立ったとき、あるいは偶然通りかかったりしたときに、いつでもお参りできるくらいの感じで丁度いいようである。

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