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雑記:文章は自分の心象風景でもある #Brmxic

昔から文章は自分の切り売りというがさもありなん。

よう、兄弟。俺だ。今日も良く来てくれたな。

以前より、文章は思考の抽出物であると主張してきたが、文章にはもうひとつの顔がある。
それは、書き手の心象風景の可視化が文章でもあると言うことだ。

文章には心の有り様が明示される

どこまで自分をオープンをするにかにもよるが、少なからず文章には書き手の心象風景が反映される。

心の有り様を言葉でもってなんとか表現しようという心が文章であるからだ。

もちろん、世の中には心を圧し殺して事務的に振り切った文章や、あるいは読み手を欺くために書かれた文章もごまんとある。
そういうのも含めて書き手の心理を映すのが文章ということだな。

おまえの心の風景はいかなるものか?

文章とは心象風景であるとするならば、必然的におのれの心の有り様、精神の王国と向き合う必要が出てくる。

それはバー・メキシコのようなうらぶれてはいるが賑やかな酒場かもしれないし、あるいは打ちっぱなしの寒々しいコンクリートジャングルかもしれない。

もしくは緑と華々溢れる楽園かもしれないし、亡骸と血の溢れる屍山血河かもしれない。当然、無味乾燥な荒野とか、完全な虚無もありえる。

もちろん、心の有り様とは自由な物だ。こうでなければならないというのはない。
もっとも、やはり世の中に受けのいい、悪いはあるわけだが。

自分の文章を見直す為に心の王国を見直す

自分の精神を荒野に置いている者は当然乾いた文章になるし、楽園に置いている者は華やかな文章になるだろう。

逆に言えば心象風景を変更することで文章、文体に影響を加えることも出来る。加えて思考も変更すれば全く違う文章の雰囲気にすることも出来るだろう。

戦場へ

思考の有り様と同様に精神の有り様もまた文章の味になるということだな。
なんかこー、文章に行き詰まったら自分の精神状態と向き合うのもよいだろう。

今回はここまでだ。またな。

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