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おばさんと電車と死体【リレー小説/③】

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「せーので行きましょう」
 おばさんは男性の足を抱えるように姿勢を下げる。ぼくはまだ悲鳴以外が口から出ない。平然と持ち上げようとするおばさんは、ぼくと目が合うと早く、と急かす。
 今、気がついた。おばさんの薄いグレーのロングワンピースはまだら模様が入っているのではない。返り血だ。


 ぼくはおばさんの服の胸元、返り血が描いたまだら模様を指さして叫んだ。
「それっ、血!血でしょ?この人を殺したのはあなたですよね?」
 おばさんは自分の胸元を見下ろして「あら」と言った。そして表情を変えずに「これは失礼」というと男から無造作に手を離した。男の足が勢いよく床に落ちて鈍い音を立てたけど、おばさんはそれに構わず自分の胸元から腹にかけてを両手でパタパタと払った。服に染みついているはずのまだら模様は、まるで埃を払われたようにスッと消えた。
「これでよしと」
 おばさんは満足そうにニッと笑うと、前屈みになって男を再び抱え上げた。そして顔をあげるとぼくをせっついた「さ、そっちを持って。脇の下を抱えて。ほらビビってないで。男の子でしょ、ほら、せーので」
 ぼくは、おばさんが少し怖くなった。死体に触るのは気持ち悪かったけど、逆らったらなにされるかわかんないな、と思ったので、男の顔をなるべく見ないように努力しながら、彼の両脇の下に手を差し込んで床から持ち上げた。さいわい男は見た目ほど重くなかった。ぼくらは、多少よろけながらもゆっくりと、車両の一番後ろまで死体を運んだ。

「このまま外に出しちゃおうよ」
 と、おばさんが言ったので、ぼくは男をいったん床に下ろして、車両から外に出る扉に向き合った。立派な木製の扉に、金属製の押し開けるノブがついている。それを押して扉を開けると、まぶしい光と潮風がどっと車内に流れ込んだ。
 扉の外に、大人がふたり並んで立てばいっぱいになってしまう狭いデッキがあって、高さ1メートルの金属製の手すりがデッキを囲んでいた。二両目は接続されていない。ぼくは手すりを強く掴むと、デッキから身を乗り出した。電車のうしろには白い航跡が長く尾をひいて、青い海に輝く筋を刻んでいる。
 あたりをぐるりと見回してみても、海と空と水平線以外、なにもない。線路も見えない。電車は海の上を走っているのか?海面を覗き込むと、透明な水を透かして線路がまっすぐ伸びているのが見えた。水面のすぐ下に線路があるらしい。ざーっという音は、電車が水をかき分けて進む音だったのか。ぼくは車内に引き返すと再び男を抱え上げた。そして狭いデッキに引きずり出すと、四苦八苦しながら男の体を持ち上げて、手すりの向こうへ押し出した。

 男の身体は盛大に水柱をあげた。黒い姿がしばし海面を漂ったかと思うと、ゆっくり沈んでいくのが離れゆく電車から見えた。夢のなかとはいえ、忌まわしいものが目の前から消えてホッとする気持ちと、そう思うことへの罪悪感を感じた。頭の中に“死体損壊”“死体遺棄”という文字が明滅する。
「はーい、お疲れ様でした」
 おばさんは朗らかな顔でそういうと、ドアを開けて車内に戻っていった。ぼくはためらったけれど、このままここにいても仕方がないと、おばさんの後を追った。そして後ろから呼びかけた。
「ねえ、もう一度聞くけど。あなたはぼくの夢の中にいる人で、ぼくがあなたを夢で見ているんだよね?」
 おばさんは車両の中央でこちらを振り返った。
「あなたこそ私の夢に出てきてる人だよね?違うの?」
「違うよ!ぼくはAIドリームダイブにさっき接続した客で、ここでは電車デートの予定だったんだよ」かわいい女の子と、と心の中で付け足した。おばさんはぼくの内心を見透かしたように微笑んだ。
「おばさんでごめんねえ。てゆうかさ、私があなたの夢なのか、あなたが私の夢なのか、いくらここで考えてみても証明できなくない?そもそも、それって重要?」
「……確かに、いや、ぼくが目覚めれば、この夢もあなたも消えるはずだよね」
「目覚めちゃうの?せっかく高いお金払ってダイブしてるんでしょう?楽しまなきゃもったいないよ。ね、美味しいお酒とおつまみもあるし」と、おばさんが言った途端に、洒落たワゴンが出現した。大理石模様のテーブル面の上には、シャンパンのボトルとフルートグラスが二つ、ガラスの皿には美しく盛られたチーズと、スライスされたテリーヌが載っている。
 おばさんはシャンパンのボトルからグラスへと酒を注ぎながら話を続けた。
「ちなみにさ、私の登録したワードは『きれいな海』『砂浜』『電車』『リゾート』『駅』なの。だから多分、このまま電車に乗ってたら、リゾートビーチの駅に着くと思うの」
 その姿を眺めながら、いつか見たネット記事をふと思い出した。ドリームダイブ中に起こる謎の突然死。原因がダイブによるものかどうかはっきりしない、因果関係は不明……よくあるデマか都市伝説だと思っていたけど、もしかして……。
 おばさんはこちらに歩み寄ると、銀色の泡がきらめく細長いグラスの片方を、ぼくに差し出した。思わず受け取ってしまう。おばさんは「乾杯しよ」と、にっこり笑った。ぼくは我ながらうわずった声で「ええっと、なにに乾杯しようか?」と言った。彼女はグラスを持ち上げて、ぼくの目をまっすぐに見た。

「私たちの出会いと、殺人に」

 ぼくはゴクリと唾を呑みこみ、なにもいえずに彼女の目を見返した。おばさんはまた笑った。
「楽しんだもの勝ちじゃない。人を殺したからって、それがなに?夢の中なんだよ、ここは」
 おばさんは自分の持つグラスを、ぼくのグラスに軽く打ちつけて「乾杯」と言った。そして美味しそうに酒を飲み干した。



ひよこ初心者さまの第④話→


(第③話 完)

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