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お年寄りが多い街

私が住んでいるのは東京の典型的な私鉄沿線の住宅街。スーパー、クリーニング店、クリニック、不動産屋、コンビニ、100円ショップ、ドラッグストア、ファーストフード店や居酒屋などが駅を取り巻くようにあって、そこを5分ほど離れると小規模なマンションが建ち並び、さらに駅から離れると意匠を凝らした立派な邸宅が現れる。

平日の昼間、駅周辺を歩いていると、見かけるのは3分の1くらいがお年寄りだ。自転車の前と後ろに子供を乗せたお母さんも多い。残りが若者やこの商店街で働く人たちといったところだろうか。

この街に住むようになって気づいた。私がニューヨークに行く前に比べて、確かに東京にはお年寄りが増えている。新宿には相変わらず若者が溢れているけれど、住宅地の商店街にはお年寄りの姿が多い。杖をついたり押し車を押して歩いている人もよく見かける。

日本を離れる前は、スーパーで見かけるのは圧倒的に中年の主婦で、お年寄り、まして男性のお年寄りを見かけることはほとんどなかった。でも、今はスーパーでもよく見かける。ということは、ひとり暮らしの高齢者が増えているのだろう。

先日、70歳代くらいかと思われる男性がスーパーで買い物をしていた。珍しいことではないのでこれまではあまり気にも留めなかったが、この時はなぜか気になった。その男性は総菜コーナーでお弁当を選んでいた。

スーパーやコンビニのお弁当やお惣菜はよくできていて値段も手頃だし便利だが、毎日食べたいようなものじゃない。私も何か作るのが面倒な時や時間がない時は買ってくるが、やっぱり下手でも自分で作る方がいいといつも思う。料理が得意じゃない私が作るものより、スーパーのお惣菜や無印良品のレトルトのカレーやパスタソースの方がよほど味が安定していておいしいのに、食べた後に虚しさが残る。「ああ、おいしかった。ごちそうさま」という幸せな気分が訪れない。

出来合いのお惣菜には愛情が入ってないからだろう。料理が下手でも、自分が作るものには、おいしくて栄養もあるものを食べさせたいという、自分への愛情は入っているのだ。

スーパーでお惣菜を買っていた男性は、毎日毎日スーパーでお弁当やお惣菜を買ってきて、レンジでチンして食べているのだろうか。アパートでひとりでテレビを見ながら食事をしているのだろうか。そんな想像をしたらたまらなくなった。

最近は貧困世帯の子供たちのために「子供食堂」があちこちにあるらしい。でも、こういうものは一人暮らしの高齢者にも必要だ。1週間に1度でも、作り立てで湯気が立っているような暖かい食事を誰かと一緒に食べられるような場所が。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。

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