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わたしが旅に出る理由

 同じ場所に暮らし、同じメンバーと過ごす。
変わり映えがしないような日々に思えても、
私にとっては「あなたは誰?」と
いつも、いつでも問われているような感覚があります。
それはおそらく、文化人類学的アプローチに出会ってから、ずっと続いています。
どこでも「フィールド」になるうると気づいたから。

今日はその、はじまりの、はじまりのお話。

いつもと同じことを言っても、異なる場所だと、違って聞こえる

私が、はじめて「旅」が自分にとってなんたるかを意識したのは、
20歳の夏のことでした。

インドネシア・ジャワ島の中部の町に滞在し、現地の大学生とともに環境保護NPOで啓蒙活動に汗を流す日々。
中でも、ムスリムのベールがとてもお洒落な、同い年の女の子ととても仲良くなりました。彼女の一人暮らしの家で、約1ヶ月、寝食を共にしました。

私は、滞在期間中に何かしら「成果」をあげたいと思っていて、地元のラジオに出演させていただいたり、マングローブを植えに行ったり(そこで川にカヌーから落ちてカメラもパスポートもダメになったのは良き思い出笑)とにかく一生懸命でした。彼女が夜遊びに誘ってくれても「この企画書つくりたいから」と断るくらい。

滞在も後半になり、私が夜までPCに向かっている姿を見て、彼女は言いました。

I'm proud of you , すごいね
Why can you be so hard on the environmental problems of another country?
どうしてそんな他人の国の環境問題にまで一生懸命になれるの?

私は、絶句しました。少し突き放された感覚。

2000年はじめ、日本では「エコ」が真面目路線からファッション路線に変わり、クールなものとして捉えられ始めていました。
そして、COP3京都議定書など象徴的な出来事もあり、「持続可能な開発」を学んでいた私は、グローバルに環境問題を捉えて、途上国の環境破壊を食い止めることが大切だと信じ込んでいました。そしてそれが「正義」のようにも思っていたし、「使命感」すら感じていたと思います。

彼女の言葉に、突然、冷静になりました。
「他人の国のことなのに」・・・そうだよね・・・。

自分が所属するコミュニティでは、私の「正義」は認められていたし、チャレンジを応援してくれる人の方が多かったので、気づかなかったのです。なぜ、私が、他国の人間が、当該国の人そっちのけで環境問題の啓発活動を進めるのか?彼女にはそう映ったのではないでしょうか。

冷静から、モヤモヤがはじまり、彼女とは夜通し話すことになりました。
残りの日々、毎晩毎晩、ベッドで語りました。

話してわかったことは、お互いが生きてきた社会の価値観の違い。
そして、私は、自分の国のことをあまりに知らないということ。

「恥ずかしい」という気持ちと同時に、だからこそ「もっと知りたい」という好奇心を携えて、私は日本に帰国することになるのです。

これが、「旅」の原体験。はじまりのはじまり。

異なるコンテキストの場・人と出会うことで、自分のいる場所がわかる。

そして、新しい世界への足音が聞こえること、それが、私にとっての「旅」です。


Oceans of love... お読みいただきありがとうございます:)

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