「こんなに悲しくて、幸せ」
「彼女」とは、打ち合わせの冒頭で、かなりしっぽり話すことが多い。
自分より一回り年上なんだけど、そう思わせないフラットな人で、
一緒にいるといつも自信が湧くし、ぐずぐずせずに、やろ!って思える。
そんな彼女がこんなエピソードを話してくれた。
歩いて仕事場まで来たんだけど、
数年前に死んだ犬のことを、思い出したの。
一緒にこのあたり散歩したなあって、
ああ、寂しいな、悲しいなって思う。
でもそれだけ自分は幸せだって感じるんだよね。
こんなに悲しくて、幸せ。
そういう瞬間が、私にもありありと思い出された。
3年前に、悪性リンパ腫の疑いで検査が続いていた時のこと。
ちょうどクリスマスイブの夜。
娘たちがほんとうに無垢な笑顔で、
明日の朝サンタさんが来ることを疑わず、
ワクワクしておしゃべりしたあと、
それはそれは安心して、何も疑うことなく眠りにつく姿を眺めていた。
心底羨ましい…と思った。
もう私には、娘たちのような、安心と希望に溢れる時間はこないのだ。
すっかり大人になった私には。
命に関わる病を得ているかもしれないんだもん、もうすぐ死ぬのかも。
という不安で心も頭も体もいっぱいだった。
ハッとした。
「あっ、私にも、こんな子供時代があった」と思い出したのだ。
そして「そんな子供時代があったことを、幸せに思っていいんだ」
と思ったら、急に、体があたたかくなり、涙が出てきた。
その日のことを、思い出しながら、その話を聞いていた。
今、目の前の大切な人を失うかも、と思ったり、
病を得て、絶望したり
大切な誰かを満足に見送れなくて後悔したり
そういう時って、
暗闇の中から出られない感じ、 窮屈でしんどい感じがある。
と同時に、それほどまでに自分には大切な人、絆、時間があるのだと思う。
こんなに悲しくて、幸せ。という瞬間がある。
私たちの、この感情は、ただひとつのエネルギーから来ているんだと気づく。
自分にとって居心地の悪いことの裏には充実した輝きがあり
充実した輝きの裏には、居心地の悪いことがある。
全は一、一は全、なんだと思う(突然の鋼の錬金術師w)。
そんなわけで、人ってまるごと魅力的で、生きるって面白いなと思う。
昨日、尊敬する方からいただいた言葉
悲しみの分だけ、人をそれだけ大切に思ったということがわかる、幸いなこと。 そうしてその人を思い出すだけ、その人があなたの中で生きるということ。
こういう言葉に触れる体験が、私の心を豊にしてくれる。
毎日、ありがとう、だなー。
Oceans of love…
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