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小説「タナトスの誘惑」に感じる魅力と恐れの矛盾について

最近、YouTubeでYOASOBIさんの「夜に駆ける」を聴いた。コメント欄を見ていたら、原作が「タナトスの誘惑」という小説だということがわかった。

今回は、「タナトスの誘惑」を読んで、魅力的な小説だと思ったがもやもやと矛盾する思いもあったので、その感想を書く。
※ 小説のネタバレ含みます。

原作は分厚い本なのだろうか…と思ったけど、調べてみたらネットに投稿された短い小説で、びっくりした(悪い意味ではなく、想像と違って驚いただけです)。

小説を読むと、心中がテーマになっているストーリーで、意外と暗いテーマが扱われていた。でも読み終わったときには、なんだかきれいな話を読んだような気がして、さわやかな終わり方だと思った

そこで、私は以下の矛盾を感じた。

◇現実世界で心中(じさつ)をすることについては、全くポジティブなイメージを持っていない。
◆「タナトスの誘惑」は心中というテーマを扱ってはいるが、さわやかな終わり方が印象に残る魅力的な小説だと思った。

小説のコメント欄で、小説について好感を持ったというコメントがある一方、「これに触発されてじさつをする人が増えないでほしい」であったり、「じさつをテーマにした曲を子供に聞かせたくない」といった、負の印象を受けたというコメントもあった。

どちらのコメントにも共感できたが、それは「じさつというテーマが、芸術として魅力的に表現されている」という思いと「現実世界でのじさつは悲痛で、あってはいけないものだ」という思いの両方を持っているからだと思った。

じさつのように、現実世界ではマイナスなテーマでも、芸術として美しく表されていると感じた作品が、他にもある。「プラチナデータ」という映画で、連続さつじん事件が起きてしまうシーンだ。事件自体は、現実世界では絶対にあってはならないと思う。ただ、映画で事件が描写されるシーンについては、これまでにみた事件のシーンで最も洗練された描写だと感じた。

負のテーマを扱う作品について否定的な意見として、「作品の影響を受けて現実世界で負の行動を起こしてしまう」という意見がある。確かに、作品にそういった力があることは否定できないと思う。でも、負のテーマを扱う作品が作られることも認めたい。そういった作品に魅力を感じるという気持ちもあるからだ。

ただ、負のテーマについて扱う作品について、「どの程度まで芸術的な魅力を感じて、どの程度から芸術としても受け入れられないのか」という物差しは、人それぞれだと思う。だから、「タナトスの誘惑」のコメント欄にあるように、同じ作品について否定派、肯定派など様々な意見があるのだろう。

「タナトスの誘惑」を読んで、矛盾した思いについてもやもやしたが、どちらかが正しく、どちらかが間違っているわけではなく、どちらの意見もある、というだけなんだと思った。

「タナトスの誘惑」のコメント欄についても、どう感じるかは人それぞれだから、どの意見も対立するものではなく、ただあるのだと思った。

余談

「タナトスの誘惑」に書かれているように、「苦しい現実で生きることからの救い」を求めてじさつを考えている人がいたら、じさつ以外に救われる方法が見つかりますように。


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