言葉の重み

ツイッターなどのSNSをやっていると言葉の重みについて考えさせられますね。
匿名のアカウントの無機質な形態の言葉だと、それがどんな人物によって発せられ、どんな感情によって放たれ、どんな目的を持った言葉なのかわかりません。
言葉を発した人物の情報の不明確さによって、言葉そのものが強く印象に残ります。

その人は何の気なしに発言した内容だったとしても、見る人にとっては、それがその人が常に考えていることかのように届いたりもします。
それがネガティブな内容だったり悪口だったりすれば、とても強い悪意を持った言葉に読み取れるのです。

多くの人に届けたい金言だったり宣伝だったり有益な情報であったりしたら、それを扱うのには便利なツールですが、誰かが傷付いたり迷惑がかかるような言葉は当然避けるべきかと思います。

ただ複雑なのはユーモアという概念で、人を笑わせたり楽しませたりするのに悪意に似た毒っ気のようなものが効果的に働く場合があるのです。
毒舌キャラ、というようなカテゴリーを求めてそんな風に振る舞う人もいます。

他者に対する誹謗中傷のようなツイートと、他者をイジるような種類のユーモアツイートで、大きく違うのはその目的でしょう。
前者は他人を陥れたり自分を大きく見せるための利己が目的で、後者は他人を笑わせるのが目的です。

ここで大事になってくるのがユーモアセンスというものです。
後者の目的で毒舌ツイートをしたにもかかわらず、読んだ人には前者であるかのように伝わってしまう場合があります。
これは一重にその人のユーモアセンスが希薄であることに起因しているでしょう。
スベっているという状態です。

ただその発言をした人がスベるだけなら一向に構わないわけですが、厄介なのが、それが毒舌のユーモアを理想とした毒っ気を孕んだ文章であった場合、読んだ人によってはその言葉で傷つく場合があるということです。

ユーモアセンスが圧倒的に希薄な人は、自分がユーモアセンスが圧倒的に希薄であるということに気づきづらいようです。
にもかかわらずそういった人が目指す理想のユーモアが、毒舌キャラのようなハイレベルな種類のものだったりして、目も当てられないような失態を演じている場合が多いのです。

そういった方のツイートなどを見ると、なぜこんなにつまらなくて品もなくセンスのかけらもないような発言をできるのだろうと首を傾げたくなるのですが、本人はそれが面白いと思っているのだろうと解せないながらも納得するしかないのです。

毒舌キャラで面白い人、というのは確かに格好いいしセンスが良いし、他人より上の立場に立てるという利点や魅力があります。
自分の思ったことをズケズケと言えて、それで笑いが取れたらとても楽でしょう。
多くの人がそのポジションを目指すのはわかるのですが、やはり身の丈を弁えたほうが良いというか、自分のユーモアセンスをちゃんと測ってから挑戦なさった方が良いのではないかと感じます。

どんな目的を持った文章であるにせよ、不特定多数の人に向けて言葉を放つSNSというツールでは、普段自分が身の回りの人とする会話以上に発言に気を付けなければならないはずなのに、そういう意識が薄い人が多いのは残念なことです。

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