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休職の女、社会復帰への道③

休職期間が延長となった。また社会復帰が遠のいた。不甲斐ないが、どこか安堵する自分もいる。社会に出て働けるというのは、経済的自立というカテゴリにおいては大きなアドバンテージに他ならないが、やはり職場というのは毒の沼のようなものなので、じわりじわりとわたしの精神を蝕んでいく。最初は分からなくても、何ヶ月か働くうちに何故か胃が痛くなったり、食事が喉を通らなくなったり、変な場面で泣いてしまったりするようになる。全部ストレスだ。休職の延長とはつまり、ただそういうストレスに晒されることから逃げているだけに過ぎないのだ。わたしの所属する会社にはたくさんの社員さんやパートさんがいて、春にはまた新入社員が、顔も見たことのない後輩が増える。果たして戻ったところでわたしの居場所なんてあるのだろうか。働いていた頃、「労働とは、時間と心の健康を売って端金に換える行為」と言っていた。20代。金のためと割り切って働けるほど給料は高くはないし、客からの罵詈雑言や上司からのいじめに耐え得るメンタルはない。先日も、プライベートでちょっと怒られただけで自殺を考えた。何度も電車に飛び込みそうになっては踏みとどまった。暗い部屋で、一人でずっと泣いていた。スペランカー並みの打たれ弱さだ。バカなの?と自分で自分に呆れつつも、ずっと苦しかった。もともと打たれ強くはなかったが、病気がそれに拍車をかけているのだろう。怒られてから丸一日経って、7割くらいは消化できた気がする。だがまだ3割残っている。こんな調子で職場を騙る地獄に身を置いていいわけがない。働けるのは、職場に殺される覚悟のある人間だけなのだ。

さんざん書いたが、仕事を辞めて、実家に帰るという選択肢もある。ただ、何としてでもそれは避けたいのだ。わたしは地元に帰りたくない。東京は臭いし汚いしストレスも溜まるがその分魅力も詰まっているのだ。地方には地方の、東京には東京の良さがある。地方出身者としてどちらの魅力もわたしは知ったうえで、後者に強く惹かれたに過ぎない。転職という魅惑的な響き。だがわたしは知っている。福利厚生がよくても、給料が高くても、定時に上がれても、人間関係だけは入ってみなければ分からないことを。まさにシュレディンガーの職場である。その人間関係こそがわたしを苦しめ、精神を蝕む最大の要因だというのに。今の会社は福利厚生が素晴らしい。有給もしっかり消化できるし、何よりわたしのような1年以上休職している人間を置いてくれている。だがやはり人間関係だ。ちょっと語気荒く注意されただけで真剣に自殺を考える人間が、例えいじめられずとも仕事で注意の嵐に呑まれて生きていけるだろうか。数ヶ月後にはどこかの踏切で礫死体になっていることは想像に難くない。昔も今も人身事故で乱れに乱れたダイヤに困らされた経験があるので、あまり人に迷惑をかけるような死に方は選ばないつもりだが、自殺衝動というのは突然やってくるものだ。動き回れるエネルギーがある時こそ、ふと自殺にアクセルを切ってしまう危険性が高まる。絶対に電車に飛び込みませんとは言えないのが恐ろしいところだ。

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