私がアンチ読書感想文否定派である理由2020

また来ましたね。読書感想文否定派の活動期が。

私は概ね、この読書感想文否定派が嫌いです。

読書感想文が役に立たないから無くしてもいいという意見には同意します。確かに無くても構わないし、無くなれば喜ぶ児童も多いことでしょう。

にも関わらず私が読書感想文否定派のアンチをやっている理由は、一派の中に
我こそは真の読書の悦びを知る者也。我が厭う読書感想文なるもの、即ち悪也。
とでも言いたげな空気が漂っているからです。

実際、読書感想文て必要なくない?無くすべきじゃない?とか言い出して正当性を主張するのって、大抵、国語得意感想文苦手奴なんですよね。

それなら自分は嫌いだから無くしたい!ってはっきり言ってほしいよもう。(個人の希望です)

嫌いだから無くせ、役に立たないから無くせ、ならスッキリするんですけどね。(個人の感想です)

曰く、「読書は自由であるべき」だとか、「感想文を強制するのは良くない」だとか。何でそれを読書感想文に限って主張するんでしょうか? それを言うなら音楽や図工や体育は?(体育は成長期だからある程度は必要としてもだ)  学問だって強制されるより自発的に志すべき、とも言えるのでは?

ここからの持論に反対されたら前提すら共有できないのでそこまでなんですが、私は、義務教育とは色んな可能性を試す場だと思っています。

同い年の子たちと色んなことをやってみて、自分は何ができるのか、何を楽しめるのかを知る。それが、学校という社会に初めて出た子供たちには大事なことではないでしょうか。

そのためには、色んな可能性を試せる機会が必要です。定期的な各教科のテスト、運動会や合唱コンクール、美術展に書道展、これらはそのために(も)あるのだと思っているのですが、違いますか。

それぞれの得意分野で実力を発揮し結果を出して、或いは認められ褒められて、子供たちは自分というものを形成していけばいいのではないでしょうか。それが将来の職業や生きがいに繋がるのではありませんか?

そこに読書感想文コンクールが加わることに、何か問題がありますか?

実際社会に出て、感想をただ素直に文章にするための技術は、そう生かせるものではないかもしれません。こと職業となると、大事なのは個人の気持ちではなく、整理された有用な情報であることが多いからです。そういう意味で、読書感想文など役に立たないのから廃止すべきというのは、ひとつの意見だとは思うんですけどね。(個人の感想です)

しかし最近では、個人の感想文が少なくとも以前よりは職業になりやすいのでは?

インターネットの普及により、サブカルやエンタメ系のライターの仕事は増えた筈です。その多くは数を必死でこなすしかない木端ライターでしょうが、素養があり研鑽に励めば人気ライターとして大金を稼ぐことも不可能ではありません。

こんな時代に、読書感想文は役に立たないと本気で言えますか?

私は読書感想文の廃止自体には反対ではありません。ただ、自分が嫌いだっただけで否定する人たちが気に入らない、それだけです。(個人の感想です)

あとね、「大人ウケを狙って書いてしまう」って意見ね…。

知らんがな! 評価されようとされまいと好きに書けや! そんなこと気にしとるから褒められる感想文が書けへんのや! どーーーしても嫌ならやらずに怒られとけ!

何だろ? どうしても優等生でいたいんですか?

大人ウケを意識するから書けないんです〜ってことですか? 何とか所定の文字数埋めればいいんだから、不得意分野と認めてやっつけるしかないんじゃないですかね?

本当に、たった年に1回、本を1冊選んでそれについて感想を綴ることの、何がそんなに悪いのかわからない。

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