『ONE PIECE』「エース = 無駄死に」という論調をうろ覚えで否定する

世界的爆売れ漫画の『ONE PIECE』。その登場人物であるエースの死が無駄死にだったとするのは、あまりに作品について理解していないのではないか。と、思ったので、うろ覚えでその根拠を説明します。

はいまず無駄死にって何なのかってことですけどね、無駄な死、すなわち「意味や価値の無い死」ですよね。この判断の基になるのは、『ONE PIECE』という作品における価値観、すなわちテーマ。作者がこの作品を通して何を伝えたいかってことです。

何故か気づいていない人が多いようですが、『ONE PIECE』という作品を通して作者が言いたいのは、

「俺はこれだけ好きなことをして楽しく生きてるぞ!!」

ってことなんですよね。

作中ではかなり初期から、好きなように生きて悔いなく死ぬという価値観は描かれてきました。ルフィが笑顔で斬首を受け入れたシーンなんかは、まさにそれではないでしょうか。

もうこのテーマはね、作品世界だけじゃなくて、『ONE PIECE』というコンテンツの売れゆきやメディアミックスや、それに関しての世間的な評価、作者が鳥山明氏と対談を果たしたことなど、それらすべてで語っているわけですよ。作者は。

そしてこの「俺はこれだけ好きなことをして楽しく生きてるぞ!!」を最もキレイな言葉で言い換えると、「夢・冒険・仲間」となります。ほら、まさしく『ONE PIECE』の世界じゃないですか。

はい、このテーマ、すなわち価値観に照らし合わせますとですね。楽しく海賊をやって大事な仲間を得てみんなに助けてもらって最後は一時の感情で突っ走って、なんかカッコいい台詞を吐きながら大好きな義理の弟に抱きとめられて死んだエースなんて、その死には価値があったに決まってるじゃないですか! 「夢・冒険・仲間」そのものじゃねーか。好きなことやって楽しく生きて死んでるじゃねーか。

エースに対して、何故かヒルルクの死は名シーンとして語り継がれてますけど、あのヤブ医者、本当にただただ自分のしたいようにして死んだだけですからね。何の技術もないくせに人の体をいじくるとか、アミバかよ。しかも残されたチョッパーが抱く罪悪感や後悔なんか、なーんにも考えてませんからね。徹頭徹尾、すべて自分のためですからね。まあ、自分の人生だしね!

さて、なぜか世間一般に気づかれていない『ONE PIECE』のテーマですが、これはね、作者の尾田栄一郎氏が超一流の「日本人だまし師」だからなんですね。

桜とかね、動物とかね、兄弟とかね、仲間とかね、号泣とかね、こういった日本人だまし要素を、この方は本当にお上手にお使いになる。私はこの方のこういうところ本当にすごいと思う。

同じ天才的日本人だまし師に、サザンオールスターズ(というか桑田佳祐氏?)がいますが、あの方も本当にすごいからね。「津波のような侘しさ」なんてトンチキな歌詞を書いて、純愛の歌として大勢に受け入れられましたからね。

これは決してけなしているわけではなく、創作ってこういう「だまし」の上手さが出来を大きく左右すると思うのですよ。だから超一流のだまし師は、超一流の作家・アーティストでもあるわけです。余談ですが、私が一番好きなだまし師は、超一流「大人だまし師」ジョージ秋山氏です。

色々述べましたが、まとめると

●エースは無駄死にではない
●なぜなら『ONE PIECE』の価値観では最高に近い死に様だから
●しかし彼の死を個人が無駄だと思うのは自由だ——!

ということですね。以上!

私、もし『ONE PIECE』の最終回でルフィが「全巻揃えた君、それが本当のワンピースだ!」って言いだしたら、尾田栄一郎先生の信者になる!

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