苦しみの実在感

何かの罪責感とか、
ズーンとくる重たい感じとか、
自己嫌悪だとか、
他人への裁きだとか、
そういう苦しみを感じるとき、
その苦しみ自体が、
それ自体で実在しているように感じる。
自分が自分でいる限り、
その苦しみはまったくどうしようもないように
感じる。
だから、
自殺によって自分が肉体とか脳の限界に囚われている状態をなんとか変化させて、
まったくどうしようもないとしか思えない
苦しみから解放されたい。
肉体の痛みも同じか。

実際は、神経系の作り出す反応で
脳が痛みという錯覚を作り出しているだけで、
真実には肉体の痛みには全く実在性はないけど、
でも実際には、やっぱり肉体がリアルな痛みを
感じているとしか感じない。
だから、
自分は無力な被害者としか思えない。

自分ではどうしようもない心理的な苦しみについて、
他人から見たら、
なんかの信念とか思い込み、
パターンにしがみついているように明らか見えても、
自分では、
苦しみのほうがそれ自体で実在していて、
自分を苦しめているようにしか感じられない。

本当に悪夢と同じで、
悪夢はそれ自体で実在しているようにしか思えないから、
その悪夢の現実によって苦しむ状態から
目覚めることが可能だという気づきそのものが、
完全に忘れ去られて、
「どうしようもない現実によって、
どうしようもなく苦しむしか、
選択肢がない無力で惨めな自分」
これだけが現実になるから、
自殺したくなる。
それが唯一の解決法としか思えない。

本当に、自分が日常で感じる苦しみは、
無意識の願望や決断から来ているんだろうか。

あまりにも、苦しみがそれ自体で存在しているという感覚が強すぎる。

心の力を投入しているから、
そう感じるだけなのか。

真実から見たら、
悪夢みたいに、無意味な思考を信じて
それが筋の通った現実だと思いこんでいるだけで、
いつでも完全に目覚めることは可能なのに、
自分は苦しみの無力な被害者だと思い込んで
心の力を忘れているだけだと
見えているんだろうか。

今回は、
自分が他人から嘲笑われていてムカつく、
という投影とか、
逆に自分が他人を分析してこの程度の存在ですね、と自我と同一視しつつ
嘲笑うみたいな醜くて卑しい心で、
自分で自分があまりにもおぞましく感じる、
みたいな感じだった。
あと自分はブログを通じて他人を批判した、
攻撃した、みたいな強烈な感覚、
赦されない、責められて裁かれて当然、
みたいな圧倒的な感覚だった。
真実から見たら、
これも捏造されたものなんだとは思うんだけど、
やっぱり自分では深刻でリアルで、
あまりにもどうしようもないように感じた。

でも、こうやってブログに書いていると、
確かに他人からしたら、
なんか無意味な思考を強烈に信じ込んで、
ひとりで勝手に苦しんでいるだけに見えるだろうな、
というのも確かに実感できる。

視点によって、見え方が違うんですけど。
あんなにリアルに深刻にしか感じなかったんですけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?