コンビニと罪責感
さっき、夜にコンビニに行って、
会計をする時、
お札や小銭を触っている間、
焦りがあった。
夜だし、店員さんたちはいつもレジにいない、
自分のためだけにレジに来てもらってるわけだから、
店員さんとしては、
早く済ませて、
ほかの業務に戻りたいはずだ。
だから、早く会計を済ませなきゃ。
モタモタしたら、
店員さんは、イライラし出すだろう、
店員さんに迷惑をかけて、
ストレスや負担感、疲労を与えて、
店員さんに苦しい思いをさせるのは
心苦しい、
店員さんがイライラして自分に内心怒るのは
完全にもっともなことで、
自分の立場は、完全に怒られて当然だ、
加害者の立場なんだから、
という、
窮屈に萎縮した状態があった。
まさに、罪悪感なんだけど、
「自分は責められて当然、
自分に対して向けられる怒りは完全に
正当化される」
みたいな感覚で、
以前のほかの状況でも、
相手が家族でも誰でも、
全く同じ感覚だ。
自分が相手を犠牲にしているって言う信念か。
逆に、自分が何かの形、
ゴミ出しとか、皿洗いとかでも、
犠牲にされたという感覚がある時は、
自分の他者への怒りは完全に正当化される、
と感じる。
なんか、その怒りを正当化できることに、
気持ち良さもある。
犠牲と苦しみ、罪悪感、怒りの信念サイクルを
リアルにし続けたいと、
無意識に望んでいるのかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?