田舎のトイレ事情。ゴミから焚き付けへ!究極エコだと思うんですが・・・田舎暮らしラプソディーその③
思いもよらない展開で東京→茨城の山奥へと引っ越すことになった今から30年前の人生備忘録。
「田舎暮らしラプソディー」は1992年の暮れから1996年に体験した30代前半の時の田舎暮らし経験を、2001年にあるミニコミ誌からインタビューを受けて記事になったものに追記して書いたものです。
我が家の排水は田んぼの横にある小さな排水溝に流れ込んでいました。
それで石鹸をやめていったんです。
石鹸すらも悪いということが分かったから。
合成洗剤も石鹸も所詮、人間のエゴで使っているものなのかなって。
分解される過程では石鹼の方がいいのかもしれない。
でも石鹸の混じった排水は土に浸み込んでゆく速度が遅いんです。
合成洗剤と変わらない。
それで排水溝がドロドロになる。
最近では炭と塩で(洗濯物を)洗うのが流行っているみたいですけど、
そういうことを田舎で長い間やっていました。
それから白物を買わないようにしたり。
水で洗うと白いものは黄ばんでくるからです。
今までの街での生活を見直す作業を始めました。
なのでゴミと排水に対してなんとかする方法を常に考えていました。
石鹸も洗剤も使えないのなら水の力を向上させればいいのでは、とまでいきついて、水のこともいろいろ情報を探しました。
そこで出会ったのがシャウバガーの水理論。
当時は英語本しかなかったのでその本を読んでいた人から教えてもらっていました。
昔の人はものがないのにどうやって暮らしていたのか、
近所のおばあちゃんたちに聞いて歩きました。
そうすると、
自分たちが今までこうでなければならない!
と思い込まされていたことがよくわかって
「そうか、なくてもいいんだ」
という気持ちになってきたんです。
田舎では人に会うのにお洒落する必要もなかったし、
自分が自然体でいられる時間が長かった。
街の人は、どちらかという他人を意識して生活していますよね、
でも田舎では本当に自分が生活するための日常なんです。
それで、石鹸、シャンプー、洗剤が
私たちの暮らしからなくなっていきました。
髪も塩で洗えることが分かりやってみました。
そんな生活していると、
生活すべてがつながって循環していることに気がついたんです。
トイレを自分たちで汲み上げていたのですが、
紙をトイレに捨てると汲み上げるのに重い。
それで煮炊きを薪でやっていたので、
お尻を拭いた紙は焚き付けにしました。
紙壺を作ってトイレに置くんです。
朝、それを焚き付けに使って火をおこします。
また冷蔵庫も壊れてなくなったら、食生活が変わって、トイレの匂いも臭くなりました。
現代的な生活をすると芳香剤も必要になる。
冷蔵庫を必要とする生活をすると、
身体にも油がたくさん出ました。
冷蔵庫を必要としない食事にすると、
お風呂も洗濯も、炭と塩で充分汚れが落ちたのです。
紙をトイレに捨てないというスタイルは、
当時の田舎暮らしをしている人たちにとっては割とポピュラーなものでした。
どの家に遊びに行っても取り入れているところが多かったからです。
というのも、自分たちで汲み取っていると、紙が時間の経過とともに水分を吸って硬くなり、汲み上げることが至難の業となるからです。
でも最初はこのスタイル、私にとってかなり衝撃でした。
田舎暮らしの間は「汚い」というストライクゾーンが大幅に改訂されました。
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