希望
僕たちは時として「希望」を欲する──。
『ラーゲリより愛を込めて』を観た。
戦後のシベリアを舞台に描く、
二宮和也が主演の映画だ。
戦争に敗れた日本は、何年もの間、
ラーゲリ(収容所)で強制労働をさせられていた。
「生きることを諦めるよりも、
生きると決めることの方が難しい。」
出演した俳優が舞台挨拶で語った言葉だ。
希望は生命に活力を与え、
生きる意味をもたらす。
僕たちが生きていくには希望が必要だ。
綺麗事のように聴こえるが、
事実、そうであった。
第二次世界大戦のドイツ、
アウシュビッツ強制収容所──。
ユダヤ人が迫害を受け、
虐殺された過去がある。
この収容所は元より過酷な環境であったが、
クリスマスを迎えた後、死者が急増したと言う。
だが、生活環境が変化したわけではない。
「クリスマスまでには帰れる」
当時、皆がそう思い込んでいた。
だが、クリスマスが近づいても解放される気配がない。
そしてとうとう、クリスマスを過ぎても解放されることはなかった。
この瞬間、彼らは「希望」を失った。
死者が急増した原因は、これだったのだ。
このことは、心理学者フランクルの著書
「夜と霧」に記された。
人は希望を失うと、こんなにも脆くなるのか。
2011年3月11日──。
東日本大震災はまだ記憶に新しい。
波に飲まれ、全てを失った街が、
連日テレビに映し出された。
ダンボールで仕切られた体育館で、
震えながら毛布に身を寄せる人々を
見なかった日は無い。
震災から数年経った頃だろうか。
「勇気と希望をもらいました。」
明るいニュースが流れる度に、
常套句の如く被災地で語られた言葉だ。
当時学生だった僕は、この言葉に随分と違和感を覚えていた。
希望をもらって何になる。
状況は変わっていないし、変わり得ない。
事実、希望が状況を変えることはなかった。
建物は崩れたままだし、街は土砂まみれだし、
避難所生活も依然として続いている。
だけれども、その僅かばかりの希望は、
東北の地で生きる彼らにとって、
決して欠けてはならないものであった。
希望がないと生きていけなかったのだ。
食糧だとか住居だとか、それよりももっと、
根本的な「生きる活力」が必要だったのだ。
僕たちが「希望」を欲するとき、
それは、生命の警告なのかもしれない。
希望を与えられる人なりたいですね。
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