【映画】アイヌに寄り添い、映像化という観点に力の入った丁寧な映画【ゴールデンカムイ】

◆「寄り添い」を感じた始まりの話
 最初に言っておくと、私は原作を読んでいない(いつか読もうとは思っている)。
 グロテスクなシーンも多く存在するが、アイヌの文化が丁寧に説明されて物語も分かりやすく進んでいく。
 すべてのアクションが高クオリティだったとは言わないが、人を選ぶグロテスクなリアル描写が怒気迫るアクションを映えさせていた。
 話の中心となるシーンがあってそこに向かって盛り上がっていく作りではなく、お話の流れに忠実でお話の魅力をストレートに伝えてくる感じの展開だった。
 話の始まりといえば始まりで最低でも三部作以上という感じだが、今後が楽しみだしちゃんと進んでいく感じも良かった。
 不安といえば、続きや外伝などがWOWOW限定になる可能性があるということだろうか。
 もしかしたら原作の内容になってしまうかもしれないが、注目したシーンを。

◆「ついていけないな」
 これは第七師団中尉の鶴見が、日露戦争で前線で戦ったのに戦後の待遇が悪いことに対する復讐として、北海道に独立国を築く野望を語って杉本に仲間になれと誘った場面で、杉本がポツリと言い返したセリフだ。
 第七師団は目的のためなら容赦のない行動をするシーンが多くあった。鶴見の発言にもあるが、彼らはいまだに戦場から離れられずにいるように感じた。
 杉本も度々夢に見ていたり、相手を殺すことに躊躇がないところは戦場を経験した人間だ。
 最後に語られることだが、杉本は戦場で幼馴染を二つの意味で失った。彼は、戦場で戦い生き残った誇りや評価が重要ではなかった。杉本はむしろ戦場から離れたかったはずだ。
 だからこそ、ついていけないという言葉が生まれたのかもしれない。
 鶴見の作戦には、北海道の土地とアイヌの金だけを大事にしており、そこにアイヌの人たちへの言及はなかった。そこに大きな違いを感じた。たびたび食事を取るシーンが描かれる。同じ釜の飯というわけか、それによってお互いの文化知ったり仲良くなるきっかけになったりしている。アイヌの文化を共有して理解をした杉本とは、大きな違いがあった。
 「ついていけないな」という言葉には、自己都合と戦争にとらわれた鶴見に対する言葉だったのではないかと感じた。

◆「私を子ども扱いするな」
 アシㇼパが杉本に対し、自分を置いてアイヌコタンを出て一人で動こうとしたことに怒る場面。
 杉本は何も言い返さなかったが、その後自分の身の上を語る上で真意を感じた。
 戦争で家族のいる幼馴染を失ったこと、もう一人の幼馴染が残されたことが今の杉本のすべてになっている。帰るもの、帰りを待つものがいる人が死ぬようなことがないようにしたかったのではないか。
 家族の中で唯一生き残ってもいい顔をされず、戦場でも幼馴染を失っても生き残っていた杉本にとって、「不死身」の体は決して喜ばしいものではなく、結果幸いだったものかもしれない。

◆これからの展開
 それぞれの勢力の配役も決まって顔出しもされ、これから次の作品で大きく動き出す、次回作も制作していくという意欲を見せて終わった。
 これからどのように展開していくか、まだ原作を読んでいないためまったくわかっていないが、今作を観た人間としては、お話を崩すことなくアイヌに寄り添って続きが作られていくように思う。