【ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ】ゲームの映画化という難題【映画】

◆『Five Nights at Freddy's』というゲームはポップなインディーホラーである
 『Five Nights at Freddy's』は、シンプルなゲーム性と怖さから話題となって世界中で遊ばれたゲームであり、それ以降何作も続編が作られたゲームである。
 ゲーム内容を一応ざっくり説明すると、夜の警備室にいる主人公が複数のアニマトロニクス(※1)による襲撃から身を守るゲームだ。襲撃を受けた時には、大音量の叫び声と画面いっぱいにアニマトロニクスの顔が襲い掛かる。アニマトロニクスの足音や影、監視モニターの映像から襲撃を察知して身を守る必要がある。
 本作の電力システムが設定されており、灯りをつける、扉を閉めるといった身を守る行動を取ると電力を消費してしまい、切れれば身を守ることができなくなって襲撃を受けてゲームオーバーとなる。つまり、無防備な状態で襲撃を察知し、とっさに防御するといったプレイが要求される。このスリルが魅力のゲームだ。
 続編で進化するにつれて要素は増えているものの、初代が人気になった特徴として、基本的に一画面で完結しているシンプルさと、ゲームオーバーになる時のジャンプスケア(※2)のインパクトがある。

 ゲーム情報を整理したのは、このゲームが映画化されると聞いたときの「どうやって?」という部分と、「どのように」ゲーム要素を落とし込むかという部分への関心が、大きかったからだ。
 結論からいうと、映画化する上でのストーリー部分はこう落とし込んだのかと楽しんだ部分と、ゲーム要素が精巧なアニマトロニクスだけだったとがっかりした部分がある。

※1:アニマトロニクスとは、ここでは生物を模して造られたロボットのことを指す。
※2:ジャンプスケアとは、恐ろしい大きな音と画像や映像を突然表示されるホラー演出のこと。

◆誘拐へのトラウマと悪夢をくり返す主人公
 『Five Nights at Freddy's』というゲームで不自然なのは、明らかに不自然なロボットに襲撃を受けている男が5日も夜間警備員の仕事をするというところだ。
 映画の主人公であるマイクは、弟を目の前で誘拐されたことがトラウマになっておりそれが原因で仕事が長続きしない。妹は金目当ての叔母に親権を要求されており、職に就く必要に駆られることに。
 またマイクは、誘拐された弟を助けて過去から解放されるため、毎日その日を夢に見ることで犯人の手がかりになるものを見つけられないかとあがいていた。マイクは警備室で見た夢に変化が起こったことで夢を見るために警備室に行きつづける。
 映画のストーリーにするには不自然な部分がきれいに解消されており、そこからさらに絵ばかり描いていて周囲となじめない妹や、この廃墟となったピザ屋に詳しい警官が増えることで幅広い展開を見せていく。
 アニマトロニクスと普通に遊びだしたときは展開にびっくりしたし、子どもの成長に関する絵の話がつながるのもよくできているな、と思った。

◆ゲーム性と映画
 概要部分にも記載した通り、このゲームの肝となっているのは、自らを無防備な状態において寸前で身を守るというスリルだ。ただこれはあまりにもゲーム特有のものなので、これを落とし込むのは厳しいかなとは思っていた。これが入っていればすごいというところだが、それでなくても、電力システムをどう落とし込むか、警備室で襲撃を防ぐところをどう描くのか、ジャンプスケアはどんなものなのか、といったところが楽しみだった。
 警備室で防衛するというシーンは一か所あったが、偶然監視カメラを見てダクトからの侵入を防ぐというものだけであまり駆け引きといった印象はなかった。
 電力はブレーカーを上げるカットは何度も使われていたが、電力システムというものはなく、停電による恐怖演出もなかったように思う。
 ジャンプスケア自体は存在したがアニマトロニクスによるものではなく、小さい人形の顔がこっちを向いてるという使われ方で「そこか?」と思ってしまったり。そもそもアニマトロニクスが精巧なロボットによるものだからか動きがゆっくりなので、ジャンプスケアを行う俊敏さまで達していないように思われた。
 ここまでゲームと異なるものに感じてしまい、ゲームの映画化というよりはゲームで登場するキャラクターを使った映画という感想になってしまった。

◆実はジャンプスケア系は苦手
 僕自身ホラーに対してどう思っているかというと、ストーリー自体は好きなのだがジャンプスケア系はびっくりするから嫌いというタイプの人間だ。
 なのでびっくりで首痛めなければいいな、と思いながら観ていたのだが一度も驚くことなくおわってしまい拍子抜けしてしまった。ジャンプスケア以外のホラーもスプラッタに近いのでゲームのようなポップさはなかった。アニマトロニクスのサイズの怖さはあるが、一番怖い動きをしていたのは頭だけの奴だった。
 考えて見ると、過去にとらわれず今生きている家族を大切にしろというストーリーはあまりホラーっぽくないし、ホラー的な疑問点(なぜ子どもを誘拐してアニマトロニクスに閉じ込めたのか、など)は主軸ではないためか解決せずに終わる。
 このゲームを映画に落とし込むために誘拐へのトラウマや無垢な子どもという要素を足していったのは面白いと思う反面、この部分を面白いと感じるにはゲームを理解していなければいけなく、そうするとゲームの面白い部分が採用されていないことに目がついてしまう。家族愛やトラウマの払拭をおすすめするにはスプラッタが強く、ホラーとしておすすめするにはストーリーやジャンプスケアが物足りない。
 ゲームの映画化、特にインディーのホラーゲームというのは話題になる一方で落とし込むのは難しい問題だなと思った。