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恋愛小説 溶けない氷

流氷の割れる音を思い出そうとしている
流氷のそれを見たことはない
映像で見た画面が頭の中に浮かぶ
流氷の割れる音ではなくて
鯨の潜る、海面を割る効果音
鯨のだろう鳴き声
象牙色に死んだ白蝋の鯨を知っている
練乳とあるだけのミルククリームを入れたカップの中の渦を見つめている
なにも映っていない目
なにも見ていない目
草原で死んだ鯨はしあわせだろうか

なにか頭上で曲が回っているけれど
ピアノの音色としか耳に入って来ない
今はとっくに禁煙になったこの店で燻ゆる
ゆき当たった天井のすぐ下で、膜のように煙のように裾を広げながら、正確に輪舞を回ってまた頭上に止まる

わたしは今日は窓を背に向けてカフェオレを飲んでいる
白すぎたカフェオレを

カランコロンと高く響く音とともに扉が開く
聞き慣れた入口でのやり取り
伏し目のまま、目の前に黒い服が写り込む
カップで口もとを隠しながら、瞼を睫毛で蹴り上げた
それくらい冷たい上目遣いだったかもしれない

「やぁ。入る瞬間、窓枠から見た君の背中」

建付けの悪い椅子を床に擦りつけながら座った

「静かで恐ろしかったよ。また怒ってるんだと思って」

「今日は窓の外を気にしたくなかったの。もう窓の外を見ながら待つのやめるの」

「飽きた?」

「なにが?」

「いろいろ。いつもの。変わるのも、変わらないのも、変われないのにも」

「このまま、ってことはないわ。たぶん」

「あ」、と体を斜めに引いて立ってカウンターに行ったらしい

戻ったその手には水滴のついたアイス珈琲があった

「運んでくるだけでも、誰か来ると君、緊張するだろ」

すうっといろんな感情が頭を巡る
止まって、張り付いた貌から消えた笑顔ってどうなってしまうのだろう

この世界には
いつもどこかに氷がある
一年中
嘘ばかりついて
本当のことを言えなくて
考え過ぎて
考えなさ過ぎて
熱を持ち過ぎて
渇き過ぎて
あるいは潤滑し過ぎて
歯止めが効かなくなって
そこだけ燃えるような部分に
人は冷たく冷やす氷を求める

気付いているのか、一瞬触れたら火傷してしまうことに

きっと今日ここにいると言うことは
これから暑くて息のつけない罪深い箱に入るために
一刻を言い訳にのらりくらりと漂い誤魔化しているだけ

(それ以外、僕たちに何があるの?)

あなたの代わりに、グラスの下に溢れた水溜まりが雄弁に語っていた

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