見出し画像

新言語秩序(二次創作)–解析担当者の呟き①

※このお話はamazarashiによる『新言語秩序』の二次創作です。私自身が、あの物語を、あのライブを見た際に感じた疑問や、もしこれが現実だったら?と想像して抱いた感情を元に構築したお話です。

–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–•–

新言語秩序は、あの日「言葉を取り戻せ」という轟音と共に解体された。
様々な感情が入り乱れる怒号の中、ステージを取り囲む群衆の中にただただ涙を流し、立ち尽くす男の姿があった。

–––––––––––––––––––––––––––––––

仕事帰り。電車に乗って窓に映る自分の顔を見るともなく見ていると、ポケットに入れていたスマホが短く2回振動した。

『柾季(まさき)さん、お疲れ様です。C区の中学校の壁に書かれていたテンプレート逸脱言語です。特定お願いします。』

同じ新言語秩序の実多からのメールだ。
ちょうど次の駅で降りる予定だったので、家に着くまでメールに添付された写真の確認は保留することにした。

実多。年齢は23歳。僕と同い年の女の子で、僕と同じくこの組織の初期メンバーだ。新言語秩序の人間は、基本的に下の名前で呼びあうのが暗黙のルールなので、友達や知り合い同士で入らない限り、付き合いの長いメンバーですら互いの苗字を知っている者はまず居ない。
だが、僕は実多の苗字を知っている。
いや、正しく言えば"知っていた"だ。
中学3年生の夏。彼女があの街を出るまで同じ地区に暮らしていたのだ。
引っ越した際、親戚に引き取られ苗字が変わったと人伝に聞いた。彼女が引っ越した理由、当時あの街では多くの噂が囁かれたが、結局何が真実なのかは分からずじまいだった。
ただ一つ、僕が思い当たる理由は、小学生の頃に始まったアレだ。

アレが始まったのは、たしか小学校中学年の頃だった。

「あいつの家、ビンボーらしいぞ。」

移動教室の時、たまたま隣に居合わせた男子が、廊下の壁に沿うようにして少し先を歩いていた女の子を指差す。

「ビンボー?」

ビンボーという言葉が何を指すのか分からなかった僕はおうむ返しで問い返した。

「いつも同じ服着てるだろ。それになんだか臭いんだよな。」

「…そうかな?」

目の前を歩く女の子を見てみる。普段から人の服装など気にしたこともなかった僕は、同じ服だと何がいけないのかイマイチ判然としなかった。
数日後、何人かの女子たちがあの女の子を取り囲んでいるのを見かけて、遠巻きに様子を伺ってみることにした。
何を話しているのだろう?そう思って耳をそばだてると、思わずギョッとするような言葉が聞こえてきた。汚い、臭い、ぶた…。普段はおとなしくて真面目で、僕にだって優しい言葉をかけてきてくれたあの女子が、その同じ口で人を傷つけるような言葉を話しているということに、その二面性に、僕は少なからずショックを受けた。
その言葉を直に向けられている筈の女の子の顔には、表情と言える類のものは何も浮かばず、ただ、今この時間が少しでも早く通り過ぎるのを待っているかのような、諦めきった目だけが黒く見開かれていた。
その翌週、ゴミ捨て当番だった僕は、たまたま袋の中から覗いた教科書の残骸を見つけ、先生に教科書が捨てられていると伝えた。
すると先生は、ため息をつきながら袋の中から教科書の破片を取り出し、パズルのようにくっつけようとしていたが、それは難しかったようでもう一度ため息をついてこう言った。

「いったい誰の教科書だ?」

教科書の一番外側と思われる破片を見つけた先生は、それを見てまたため息をついた。

「実多のだ。あいつ、勉強が嫌いだからって教科書を捨てることはないよな?な?柾季。」

先生は僕に同意を求めてきたが、この時僕には何となくこの教科書を捨てたのは実多ではないと思えた。
そして、皮肉にも、僕はこの時初めて彼女の名前を知ったのだった。

アパートに着いた僕は、着替えもそこそこに机の上のデスクトップを立ち上げ、言葉ゾンビの特定を始めた。

事前に付与されているアクセス権を使って、例の中学校付近の防犯カメラをあたる。
深夜2時頃の映像に少年が2人、自転車を学校のフェンス脇に止め、あたりを伺っている様子が捕らえられていた。少年らは、周囲に人がいないのを確認するとフェンスをよじ登り校舎へと入っていった。

一瞬映った少年らの顔と、その中学に通う全校生徒の顔写真を照合してみたが、一致する顔が見つからない。試しに検索範囲を学区単位まで広げてみると、現場となった中学校から西に7㎞ほど離れたところにある学校の生徒だと判明した。念のため、入学時に提出が義務付けられている筆跡と落書きの文字を解析にかける。ビンゴだった。すぐに実多へのメールを打つ。

「実多さん、お疲れ様。特定完了しました。」

そこまで打ってから、タイピングの指を止める。果たして、僕が今やっていることは本当に正しいことなのだろうか?世論が動き、それに危機感を抱いた政府が黙認しているからと言ってこんな犯罪まがいのことをしている僕は、正しい人間だと胸を張れるだろうか?
仮に、このメールに「特定できませんでした」と書いて送ったところで、現場要員である実多にはその真偽を確かめる術はない。
上層部も大したフィードバックを行なっているわけもなく、路上の落書きに関しては、発見されたテンプレート逸脱言語とその検挙率くらいしか気にしていないだろう。

そもそも、上の人間が検挙の実態を無駄に把握できないよう、検挙率だけ気にしていればいいという風に仕向けたのは他でもない、このシステムを手掛けた僕なのだから。

ここで僕は、自分が特定をやめようという考えに至った原因を一瞥する。
実多から送られてきた写真だ。様々な罵詈雑言の中にひっそりと書かれた、まさか現代の中学生が好んで書くとは思えないような、その文章を声に出してみる。

「我が庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と人はいうなり」

好きな歌だった。百人一首と呼ばれる百人の歌人が作った和歌を集めたカルタに出てくる一首だ。もともと古典やら百人一首が好きだったわけではないが、国語の課題でこの中から一つ選んで意味を調べて来いと言うものがあり、その時に選んだのがこの歌だった。

この歌が検閲対象となった時、僕は目が覚めた思いだった。もともと新言語秩序に入ったのも、大した理由や強い正義感があったからではない。検閲システムを作る技術者が必要だと、学生時代に声を掛けられたからだ。
そんな自分が今まで活動を続けてきた理由は実多の存在が大きい。もし、彼女が居なければ、僕はこの歌が検閲対象となった時、きっと新言語秩序を辞めていただろう。
この歌が検閲対象と判断されたのは"うぢ山"という単語がテンプレート逸脱していたからだ。この作中で「うぢ」は憂しや情けないと言った意味で用いられている。意訳すると「私は都の東南にあるこの宇治の山で心穏やかに暮らしているというのに、世の人々からは世を憂いて逃げ隠れる山と言われているようだ。」となる。
確かに「憂い」や「情けない」という言葉は既に検閲対象となってはいたが…まさか古語までもが対象となるとは。この時、古典を研究している学者が、自身のウェブサイトで抗議文をアップし、彼は新言語秩序による再教育を受けることとなった。そのニュースを見た時の衝撃たるや、とても自分が持ち合わせている語彙では表し切れず、暫くは取るものも手につかない…そんな状態で生活を送っていたように思う。

実多と再会したのは、システムの試験運用の時だ。彼女は、僕の事など覚えていないようで、その日は素っ気ない挨拶を交わして終わった。
その後も何度か本部で会った際に、僕は声をかけようとタイミングを伺っていたが、もともとコミュニケーションが上手いわけでもない僕と、極力人との関わりを避けるようにして検閲対象ワードを睨みつけている彼女とでは、そう簡単に会話が始まる筈もなく、僕は奥の手を使うことにした。
実多の見つけたテンプレート逸脱言語の解析担当を、自分にしたのだ。勿論、実多の他にも7名程の解析を担当している。現場要員と解析担当者の組み合わせは、全てコンピュータの抽選機能を使って作ったが、そのシステムに小細工をしたのだ。
何故そこまでして彼女と関わりたいのか、自分でも不思議だった。ずっと考えていた。そして辿り着いた答え。

きっと、これは、罪悪感だ。

あの時、声を掛けなかった。あの時、先生に教科書は他の人が破いたのだと言わなかった。あの時、彼女の名前を呼ばなかった。
心の小さい、度胸のない僕が抱えられる程度の、他の人から見たら、ほんの小さな、これっぽっちしかない罪悪感だ。

そして今、僕の中でもう一つ育ちつつある罪悪感が、僕の心の中にあった何かをぷちっと潰す音を聞いた。

「実多さん。お疲れ様。先程の写真ですが、特定できませんでした。申し訳ありません。」