『哀愁しんでれら』私は監督に聞いてみたいことがある #映画感想文 with TSUTAYA CREATORS' PROGRAM #哀愁しんでれら
一度目に見た時、二度目に見た時、その後何度か見た後で、これほど印象が変わる作品に出会ったのは初めてです。
ネット上には肯定、否定、様々な感想が、かなりの熱量で語られていました。
監督がパンフレットで語った事実を知り、衝撃を受け、何度も繰り返し観るうちに、私がこの映画に抱く気持ちも、コロコロと変わって行きました。
《今からこの映画を見る方へ》
注)ネタバレレビューです。これから『哀愁しんでれら』をご覧になる予定の方は、映画を観てからお読みください。
まずは何も先入観を持たずに、この衝撃の問題作を観てみてほしいので。
《最初に抱いた嫌悪感》
映画の冒頭で、小春がモンスターペアレンツが起こした事件のニュースを見て、
『バカな親!』と吐き捨てるように言う象徴的なシーンがあります。
監督がこの映画を作る着想にもなったエピソード。
児童相談所に勤めている、正義感が強く生真面目な小春には許せない、身勝手な親の愚行。
1回目にこの映画を見た時の私の感想は、まさにこの時の小春の気持ちに近いものでした。
サイコパス的だと思っていたヒカリへの嫌悪感。
自分の子供を信じてあげない親へのモヤモヤ。
ラストシーンの凄惨さ。
私の好みとして、感動的な、ピュアな泣ける作品を選びがちで、ドロドロとか恐怖、狂気を好まないこと、など。
それが見終わった後でお茶を飲みながら、パンフレットを見た瞬間!
一瞬で気持ちが覆ることになります。
《ヒカリは〇していない》
1回目に映画を観た後で読んだ、映画のパンフレットのDirector Interview。
その部分を要約すると
〜ヒカリは殺していないし、ましてイジワルな子でもなく、小春の無神経な裏切りにちょっと拗ねていただけ。心の根っこでは小春のことが大好きだった〜
その内容を少し匂わせるようなことが、監督のツイートにも書かれています。
以下、引用と引用元のリンクです
最初にこの映画を観た時、私はヒカリが女の子を殺したと思って観ていたのです。
ヒカリが殺したのか、ヒカリはただ濡れ衣を着せられたのか。
レビューサイトでも、酷評レビューには、ヒカリが殺したと思っている人が多めで、
ヒカリが殺していないと解釈した人は、心の深いところや価値観を揺さぶられ、絶賛していることが多いように見えました。
《2回目 感動の滝涙の回》
ヒカリの気持ちを理解した上で観ると、世界は一転。
虚言癖の同級生に振り回され、歯車が食い違って、どんどんおかしな方向に進んでいく家族の不幸に戦慄し、
サイコパスだと思っていた家族は、私の理解を超えた別世界の住人ではなくなっていました。
『ちょっと気難しくて拗ねちゃっただけのヒカリ。
虐めに合い、何クソという思いで医者になり、
人を見返したい、見下したい気持ちが根底に残っている大悟。
幸せにらならなきゃ、幸せにしてあげなきゃ、とただただ一生懸命だった、
正義感が強くて生真面目すぎる小春。
小春はヒカリを信じてあげられなかったのに、守ってあげなきゃと思っちゃったんだよね』、と
急に身近な、自分にも起こり得る世界に感じられたのです。
だからこそ、あのラストに改めて戦慄しました。
両親2人はあのまま捕まって死刑になり、たぶんあの教室のシーンが最後の家族団欒になる...
そう思うと、みんな違ってみんないいの詩と、『私は幸せになれるのだろうか?』のヒカリの声が、いっそう悲しく響きます。
《私の感情のゴール》何度か観た後の、最終的感想
1回目に、ヒカリが殺したと思って観ると、嫌悪感と、理解できない気持ちを抱き
2回目に、ヒカリが殺していないと知ってから映画を観ると、誰も悪くないのに掛け違ったボタンと、狂い始め不幸へと加速する歯車に戦慄し
何度も映画館に通い、答えを求めながら観てきました。
今は、そもそも監督は、美談としての感動を与えるつもりはないのだろうと思っています。
正しい解釈も、解釈違いも、賞賛も酷評も、激しい感情は、この作品が人の心を揺さぶった証。
みんながこの映画の解釈に必死になるのは、この物語が遠い世界のフィクションではなく、自分に置き換えて考えているから。
胸糞映画だった!と憤ったとしても、それもまた、作り手の掌で踊らされているのかもしれません。
パンフレットで明かされた、たくさんの種明かし。
監督は、知ってほしいのか、今でも、わかる人だけにわかればいいと思っているのか。
ぜひそこを聞いてみたい気持ちです。
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