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LasVegasをRasVegasに〜旅立ち〜

突然、麻美(仮名)が『MISIAのCDアルバムが欲しい』って二人で渋谷のタワレコにそのCDアルバムを買いに行った。帰宅への道の途中、彼女のフレンチブルーの愛車のPEUGEOT106S16

の車内でプラ包装をバリッと破ってCDを取り出しプレイし始めたら、車のスピーカー🔉から突然、飛行機の離陸音が聴こえ思わず、

なんでMISIAは俺がアメリカ🇺🇸に行くのを知ってるの⁉️

と叫び声を上げた。

https://youtu.be/EYd_oZTcIlU

高校生の時にグループ交際で知り合った麻美とは交際途中に別れたりしながら、なんだかんだ約13年付き合っていたのでお互いが空氣のような存在だったが、一緒に居て当たり前のパートナーになっていた。アメリカ🇺🇸に行く事が決まった僕は、当然一緒に行くものだと思っていたのだが…

元々、家庭環境も周りの友達も英語を喋る人が多く、浅草界隈の下町生まれで生粋の日本人ながら、日本にかなり違和感を覚えている僕だった。
高校や大学の友達もアメリカ留学者が多く、そのまま現地の日系旅行会社に就職し永住権を取得していたので、僕も日系旅行会社海外支店勤務の求人に応募し合格、H○S LasVegas支店に行く事が決まったんだ。

既に、日本に居ながら二回ドレッドロックスにしていた僕だが、東洋英和女学院のお嬢様育ちの麻美のご両親から僕はおもいっきり嫌われた😂

私は貴方と一緒にはアメリカ🇺🇸に行けないの…😭

と、僕よりもご両親を選んだ彼女。

まあ、よくある話だけど、落ち込む麻美の相談にのった僕らの共通の幼馴染みの修二(仮名)と付き合うことになった。それが分かったのは1999年の大晦日の夜の事。当時学芸大学の僕の住んでいたアパートで麻美が来るのを待っていたのだけど、約束していた時間から大幅に遅れて彼女が家に来た。大きなアメリカ国旗🇺🇸ワッペンが付いたグレーのスウェットを着た彼女をバックハグして、20世紀最後のツーショット記念写真を撮ろうとしたら拒否されて、麻美が僕から離れ幼馴染みの修二との事を知ったのだった…

約13年も付き合っていると、その突然の別れのショックは途轍もなく大きくて、自分の身体の半分が消え去り、心にもぽっかりというよりボッコリ大穴が空いてしまった感覚を今でも忘れていない。当時は原付きに乗っていたのだが、道路を走る僕の身体の中心に大きな風穴が空いているような感覚があった。

思い出というのは、その時に流れていたBGMが記憶を蘇らせてくれるものだと思うのだが、AswadのGreatestHitsを聴いては涙し、

https://youtu.be/IIw3BtSPHtI

癒されぬ心の傷にはUB40のRedRedWineを聴きながら、苦手なアルコールの赤ワインを飲みながらヘラヘラ泣き笑っていたっけ。

https://youtu.be/2DTrMa-r56Y

空港へ見送りに来てくれるか?

見送り行きたいけど、アイツが行くなって言うから行けないの。

結局、成田空港へは母親と弟の二人が見送りに来てくれたんだけどね…


3月末は時期的にも乗客が少なく搭乗した大韓航空の機内はガラガラで、好きな座席を利用できた。

離陸時には、MISIAのBelieveをイヤフォンで何度もリピートして聴きながら右の窓側から涙で霞む外を眺めていたっけ。
ふと氣づくと、隣の席に座っていた多分、日本人の女性だと思うが僕と同じように思いっきり泣いていた。その女性の手には濃紺のアメリカのパスポートが握り締められていた。

もしや、この女性は日本人からアメリカ人に国籍を変更して色々な思い出に浸って泣いているのかなぁ…

僕以外の人の人生物語の一部を間近で垣間見た氣がした。

早速、機内中央のガラ空きの座席を陣取って横になったが、色々な想いが渦巻き眠れなかったけどね。

さぁ、あと少しでLosAngelesに着く。

新たな人生のスタートだ。


つづく

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