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越えてはいけない境界線と進化

以下の音源を聴きました。有料なので、気になる方はご購入くださいませ。

情報発信をする際に、誰が、どのような立場でという境界線は切っても切れません。これをうやむやにしてしまったのがGoogleですが、それでも越えてはいけない線があるという話

発端となったのはおそらく、コロナウィルスが話題なのでそれについてブログで書こうぜ、それが情報発信だろうヒャッハー(悪意ある要約)的なツイートだったと思います。私もRTでちらりと見かけて、ああこういう人たちって似たような人たちが消えてはまた生まれ、また消えては生まれを繰り返してそれこそウィルスみたいだなと思ったのですが、それはそれとして「情報発信者として超えてはいけない線」については考えさせられます。それこそ、少し前に問題になったステマを含めた包括的な課題として考えるべきことなのかもしれません。

自由さが持つパワーと、制約とは基本的には相容れないわけですが、インターネットとその「境界線」というのも、近しい関係にあるでしょう。一方を重視し過ぎれば、片方が意義を消失してしまう。だから、そのバランスが大切なわけですが、それを明確にジャッジできる何かがあるのかというと、これはやっぱり難しいわけです。黒い線のギリギリまでいけば、何かひっかかる法律はあるでしょうが、グレーゾーンは(定義から言って)自己判断に任されています。

「別にいいじゃん。テキトーに書いたって、PV集めのためにコピペだけで記事を作ったって。それで何が悪いのさ?」

と聞かれたら、そう聞かれること自体に少なくとも絶望を感じてしまうわけです。だって、知的生産者はそもそもそんな疑問すらもたないわけですから。言い換えれば、彼らは自らの中に境界線を持っています。これについてはOK、これについてはさすがにダメだろう、と。

もちろん、その線引きが正しいもの(≒有効に機能するもの)かどうかは判然としません。むしろ、まるっきり間違っていることだってあるでしょう。しかし、線さえそこにあるならば、その線を引き直すことができます。ああ、これはダメだったんだと内省し、自分をリデザインしていくことができます。しかし、はなから境界線がない人は無理です。無理というか、線を引き直すことに比べて、新しく線を引く行為は多大な努力を必要とします。だから、簡単には行きません。それこそ、返事は「サーイェッサー」しか認められないような環境に3ヶ月くらい放り込まれる必要があるでしょう。

原理・原則を唱えることは簡単です。医者が近いを立てるように、「読者に害をなさない」ことが情報発信の最低条件だと理念を立て、140字くらいでツイートを撒き散らすことは容易にできるでしょう。でも、それで問題が解決するなら、世の中はもっとハッピーになっているでしょう(たぶん)。そもそも線がない人には、どれだけ線の有用性を説いたところで心に響くことはないのです。

だったら、私たちは指を加えて状況を眺めているしかないのでしょうか。この世界線は、Googleがアドセンスを作成したときに規定のものとなり、決してここからは抜け出せない(「クソっ、何度やってもブログがアフィリエイトにまみれちまう」)ものとして受け入れるしかないのでしょうか。

生物が進化していくために必要なのは、多様性と遺伝だと言われています。種類がたくさんいるからこそ、その中で環境に適したものが生き残るわけですし、またその特性が後の世代に引き継がれるからこそ、種は存続し続けていくわけです。

そう考えたとき、ブログの(というよりネットにおける情報発信の)一部が、画一性と断絶に支配されていることに気がつきます。必勝法を伝授する人がいて、しかもその人は時間と共に退場し、また新たな必勝法を伝授する人が現れる。しかも、その中身は衣装を変えただけの同質なテクニックです。進化の要素はどこにもありません。だから、あの界隈はいつも同じようなところをぐるぐる回り続けているのでしょう。

だから、多様性と遺伝で対抗したいところですが、問題は遺伝の方です。あるブログの精神性(価値観と言い換えてもいいでしょう)は、その次の世代にうまく引き継がれているでしょうか。何を書くか、ということではなく、何を書かないかということは、(当然のように)目には見えないので、もしかしたらそこに断絶が起きているのかもしれません。

あるいはそれはたんに私の杞憂にすぎないのかもしれません。人が文章から読み取るものは、書かれていること以上に書かれていないこと(書かれなかったこと)にも及ぶのかもしれません。だとしたら、遺伝は起こりうると期待できます。

何にせよ、私にできることは、ぼそぼそとでもブログを続けていくことでしょう。声高に怒りを集めて連帯するのではなく、個としてブログで発信すること。自らが定めた境界線を決して踏み越えないようにしつつ、その境界線についていつでも再検討する用意を持って。

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