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第十九回:「物の経済学」と「情報の経済学」

前々回、気軽な気持ちでボールを投げたら、剛速球が返ってきました

では、我々が小さな出版社(者)としてセルフパブリッシング、もしくはセルブズパブリッシング、あるいはチームパブリッシングを行うときは、どのように価格付けを行えばいいか?

ここまで真っ直ぐな球ならば、いさぎよく打ち返すしかありません。セルパブにおける値付けについて考えてみましょう。

◇ ◇ ◇

まず、前回鷹野さんが丁寧に解説してくださった商業出版での本の値付けは、セルパブではほとんど参考になりません。

そうしたものは、紙の本の価格決定が先にあり、それをベースに電子書籍の価格も決定されます。私たちが目指す形では、はじめから電子書籍オンリーなのですから、そもそもベースとなる価格が存在しません。つまり、別の計算式が必要となります。

これはちょっと大げさに言えば、「物の経済学」でなく「情報の経済学」が必要だということです。

たとえば、セルフパブリッシングにおける電子書籍の製造コストは、自分で手を動かす人件費を無視すれば、ほとんどタダのようなものです。上限となるカスタマーバリューも、本の面白さが読む人によってまったく多様──投げ捨てる人もいれば、一生の宝物にする人もいる──ことを考えると安定しません。

この点、紙の本は「紙の本」という物理的存在が、その価格に一定の重みづけを与えてくれます。新書がポンとそこにあれば、それが800円だと言われても、(買うかどうかは別にして)一定の納得はあるでしょう。しかし、8万字のテキストデータだとそうはいきません。ここが電子書籍の難しいところです。

いしたにまさきさんが、次のようなツイートをされていて、

この言葉にはいろいろな意味が込められているでしょうが、私は「情報の経済学だけでなく、物の経済学の土俵も持っておくべき」だと捉えています。安定感のある、値付けのしやすい「売り物」は、やっぱり物なのです。

むしろ、二つの経済学が重なり合うところが、一番美味しいところなのかもしれません。

◇ ◇ ◇

とは言え、「では、紙の本を印刷するところから始めましょう」としていたのでは、セルパブの時計の針は逆向きに回るだけです。エンジンをかけ、車輪を前に回すにはどうしたらいいのでしょうか。

梅棹忠夫さんは『情報の文明学』の中で、「お布施の理論」を提示されました。非常に面白い理論です。

お坊さんにお経をあげてもらえば、お布施を支払います。しかし、その価格はお経の長さによって決まるものではありませんし、内容や滑舌の良さによって決まるものでもありません。もちろん、お坊さんの「製造コスト」が計算されているわけでもありません。しかし、そこにはたしかに価格決定のメカニズムがはたらいています。

梅棹さんはそれを二つの格だと喝破しました。一つはお坊さんの格、もう一つは檀家(お経を上げてもらう家)の格です。この格が高ければ高いほど、お布施の値段も上がってきます。

しかも、その値段は、お坊さんから「○○円になります」という形で提示されることはありません。ある種の社会的な圧力(もう少し言えば、内発的規範として取り込まれた常識)によって支払う金額が決定するのです。

この場合、一物一価の法則ははたらきません。同じお坊さんがあげるお経でも、あげる檀家によって値段は変動します。それが、物をほとんど伴わない「情報」の値段決定であると梅棹さんは提唱されました。

同じ本でも、大学生が買えば200円で、高給取りのビジネスパーソンが買えば2000円になる。そういうことは、情報だけの「商品」であれば、比較的簡単に実現できるはずなのですが、市場はまだその領域には辿り着いてはいません。むしろ「物の経済学」の観点から価格決定されていることが大半です。

これは少し嘆かわしい状況なのかもしれません。

◇ ◇ ◇

ぐるっと見てきましたが、価格決定についての具体的な指針は得られませんでした。せいぜい「高い本を売りたければ、自分の格を高くするか、高い格を持っている人に売るかのどちらだ」くらいでしょう。これは情報商材には便利な知見かもしれませんが、知名度の低い地点からスタートするセルフパブリッシングにはあまり役立たないでしょう。

実際、ぶっちゃけたことを言ってしまえば、この領域の答えはまだ誰も知らないというのが本当のところでしょう。少なくとも、紙の本の価格決定の延長線上とはまったく違うところに答えがありそうな気がします。

たとえば、私が数万字のエッセイをまとめた電子書籍を108円で売る一方、このノートで5000字程度の記事を108円で売ることもできます。「物の経済学」で考えれば、これは非常に奇妙な値付けに思えます。しかし、これからはその奇妙なことがどんどん起こる時代になっていくでしょう。

◇ ◇ ◇

と、安直に「280円くらいが一番売れやすく利益も取れる値付けですよ」という感じで記事をまとめることはしなかったのがギリギリ天の邪鬼としての矜恃でした。

でもまあ、少なくとも現段階で動きやすい値段、そうでない値段というのはやっぱりあるのでしょうね。というところで、鷹野さんにバトンを渡します。

(鷹野さんの原稿に続く)


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