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管理2.0とかじゃなくて、もっとラディカルな変容へ

前回、話の起点としたのは「リモート」は何からのリモートなのか、つまり何から「遠く離れるのか」、ということです。

で、簡潔に言えば、それは前時代的な「管理」からの離脱ということです。

管理。

働き手を支配下に置くこと。そこからの離脱。

つまり、これまで職場で行われていた管理態勢を、新しいツールを使ってリモート環境でも実現する、という発想ではなく、これまでとまったく違う管理手法へと至ること。それが現代の「リモート」で求められることでしょう。言ってみれば、もうそれは「管理」とは呼べない何かに変容するということです。

■ ■ ■

その新しい「何か」を構成するのは、信頼と委譲です。そこに働く人の間に信頼があり、また、適切な(権力の)委譲がある。言い換えれば、働き手それぞれに裁量を与えることです。

逆に言えば、そうした変化を経ない「リモートワーク」は、旧態然とした管理を引きずっていると言えます。場に生じる空気による支配と、年功序列をバックボーンにした企業への粉骨の評価。それを引きずっている限り、リモートワークは効率の悪い作業にしかなりえません。この点を理解しておくことが肝要でしょう。

でもって、働き手に裁量を返却するのは(そうなのです、それはもともと働き手が持っているものなのです)、単にリモートワークを成立させるためでなく、さまざまな環境で、多様な形で企業に貢献しようとしている人たちを受け入れるための土台となります。言い換えれば、考え方の狭いマネージャーが想定する「努力」を行える人だけが評価され、それ以外の人がその企業から去っていくのではなく、さまざまな事情と能力を持つ人たちの力を発揮させるための新しい管理(ここではそれをマネジメントと呼びましょう)を作り出せるのです。

正直に言って、その変化は辛いものです。今管理職にいる人たちに「あなた達のやり方はもう古いのです。時代はそんな管理を必要としていません」と宣言するのですから心も痛みます。しかし、それ以上に心を痛めているのが、社会通念の中にしか存在しないロールモデルから外れながらも、働きたいと強く願っている人たちです。

旧来型の管理では、そうした人たちの力は十全に発揮させられないばかりか、その居場所を奪っているようなありさまです。そろそろそうした考え方から「遠く離れる」タイミングがやってきたのではないでしょうか。少なくとも、今の環境は思い切ってジャンプを踏み切るきっかけを提供してくれているとは思います。「このままじゃだめだとはわかっているだけど」と、多方面の思いやりという足かせに束縛されている状況でも、「そうは言ってられない状況なんだ」と思い切るための理由が提示できます。

働き手を信頼し、権力を委譲すること。個々人に裁量を与えること。それは、かつてP・F・ドラッカーが示した知識労働者の在り方とぴたり重なります。そして、そのような在り方をするとき、知識労働者は最大の力を発揮するのです。トップダウンの管理では押さえ込まれてしまっている力が、ようやくその花を咲かせられるのです。

当然そこでは、旧来型の評価もいっさいがっさいを改める必要があります。もちろん、それは「成果主義」に転じることを意味したりはしません。成果はたしかに重要ですが、単一の指標だけで人をはかるとき、とんでもない弊害が生まれてしまうのは、過去を振り返れば事例はいくらでも見つかるでしょう。かといって、「どのくらいの時間職場にいたのか」で計ろうとするのは、時計の針をさらに戻す行為です。

だったら、どうすればいいのか。

それを考えるのがマネージャーの仕事です。誰かが用意したものさしで人を測るのがマネージャーの仕事ではありません。その意味で、ここから本当の意味でのマネジメントが必要とされてくるのでしょう。たとえば、その萌芽は『管理ゼロで成果はあがる』や『NO HARD WORK!』といった書籍からはっきりと感じられます。

ともかく、管理や評価軸までを含めてそこから遠く離れることが、真なるリモートワークの在り方だと言えるでしょう。

そして「これらの仕事術」は、その変化を受けて構築されるものだと思います。それについては、次回続けましょう。

(つづく)

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