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リモート、リモート言ってるけど、何からのリモートなのか

なんだか尾崎豊みたいなタイトルになってしまいましたが、大切なことじゃないかなって思います。

これからの仕事術」を考えるためには、当然「仕事」に注目しなきゃいけません。なんといっても、仕事と仕事術は密接に関係しているわけですから。むしろ、それが関係していない仕事術ってレーゾンデートルがなさそうです。

で、「仕事の仕方が変わるから、仕事術が変わる」。ごく当たり前の話です。じゃあ、仕事の仕方がどう変わるんだろうって話になりますが、やっぱりキーとなるのは、リモートワークです。

で、一般的にリモートワークというと「在宅勤務」の話になり、それはそれで間違っていないのですが、じゃあ、職場でやっていた仕事を自宅に持ってくれば、それで「はい、リモートワーク成立です」と言えちゃうかどうかで言うと、やっぱりそれは微妙だと思うんです。

完全に間違いとまでは言えないものの、なんかこう煮え切らないものが残ります。「お前ら、もう付き合っちゃえよ」とつっこみたくなる高校生カップを眺めるような心境です。どうせそこまで行くなら、もう一歩踏み越えちゃえばいいんじゃん。せっかくのチャンスなんだから。そういう気持ちですね。

じゃあ、その煮え切らなさはどこにあるのかと言えば、やっぱりそれは仕事と価値の話になるのだと思いますが、その前にもう少しだけ「リモート」という言葉について考えておきましょう。

古いリモートと新しいリモート

リモート(remote)って、「遠い」とか「遠く離れて」って意味で、たとえば「職場から遠く離れて仕事をする」って感触がリモートワークだと思います。しかしそれって限定的なイメージです。

たとえば、職場に80%の人が働いていて、残りの20%が在宅勤務しているならそれはリモートでOKですが、そもそも職場で働いている人が0%なら、そもそも何からのリモートなんだ、という気がします。

もちろん、それぞれの人が自宅で作業している=遠く離れた場所にいる、という意味ではこれもリモートなんですが、最初のリモートとは似ているようで位置づけが全然違います。前者は、ホームがあって、それに対してのリモートなのに対して、後者は小さなホームがそれぞれに点在して、それがリモートでつながっているイメージです。これを同じだと捉えるのは無理があるでしょう。

でもって、私が感じる煮え切らなさは、せっかく前者まで来たんだから、そのまま後者まで行っちゃえよというジレったさから生じています。

アップデートと目の前の仕事

もちろん、わかるんです。そんなに簡単に事が進まないだろうってことは。

設備投資とか、セキュリティとか、IT知識とか、そういう障壁もありますが、それ以上に、「仕事はこういうものだ」という価値観がその変化を阻害します。言い換えれば、新しいリモートの導入は、仕事の定義をアップデートすることにつながるからです。

アップデートいやですよね。特にWindowsのやつ。「そんなことよりも、今目の前にある仕事をやらなきゃならんのだよ。勝手にアップデートを始めるな」と怒りたい気持ちが湧き上がってきます。きっと、「仕事」の定義に関しても同じでしょう。

でも、そこを変えていかないと、ますます企業体は立ちかなくなっていくのではないかと思います。それは別に第二、第三のコロナ大流行に備えるといったことではなく、企業と労働者の関係性を根本的に変えていかない限り、多様性の進む働き手は(特に優秀な働き手は)どんどん立ち去ってゆくのではないかと感じるからです。なぜか。

それは日本式の(特に戦後からバブル期にかけての)「管理」という考え方が時代遅れになってきているからです。もうこれだけ書けば、「ああ、あれね」とわかる人もいるでしょうし、なんのこっちゃさっぱりという人もいるでしょうから、その点については、次回に書きましょう。

(つづく)

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